何かに特化した人だけが活躍でき、それ以外は活躍できない。
一般論ではこれが信じられており、特にプロフェッショナルの世界においてはひたすら高い能力が求められるかのように見えます。
しかしながら実際には「なんでもできる人」の価値は高く、経験豊富な人は頼られてばかりです。
選択と集中という観点から考えた場合、ひとつのこと「だけ」できるのは必ずしもいいことは言えません。
「専門性を持たないひとは不要」と叫ばれることの多い昨今ですが、これはあくまでも限定的な話。
なんでもできる人というのは意外と必要で、身につけているスキルの組み合わせが個々人で異なる以上、なんでもできるというのは十分プラスになります。
目次
複数のことを経験している人は有用
一見して、資本主義の世界では何かに特化している人だけが生き残るように思えます。
たしかにひとつの能力だけで上位0.1%ぐらいに入れれば、プロの世界でも生き残るどころか活躍できます。
しかしながら、「ひとつの能力で上位0.1%」というのは非常に難易度が高いです。1万人に1人、それも同じ評価軸で勝負するとなればとても簡単ではありません。
ところが、ひとつの能力で上位0.1%に入らなくても生きていけるのが現実。
ひとつの能力だけでなくとも、複数をかけ合わせて上位0.1%に入ればよいのです。
そして多方面に経験のある人は、複数のものを組み合わせることができます。ブログなんかは心理学、プログラミングとマーケティングを組み合わせたものです。
もし3つのものがそれぞれ上位10%だとすれば、掛け算して0.1%。10分の1を掛け合わせただけで、1000分の1になってしまいます。
これこそが「なんでもできる人」の価値の所以です。
みんな裾野が狭い
現実にはすべて10%ずつとはいかず、マーケティングだけが1%、心理学だけが1%となることが多いです。
それでも多方面において経験があることは重要で、掛け算すれば上位数パーセントも容易に入ることができます。
そもそも論でいうと、ひとつの分野がひとつの学問によって成り立っているわけではありません。
医療機器は技術の知識と生物の知識が混ざっており、技術だけでは開発できません。
またプログラミングもひとつの言語&分野しか経験がない場合には柔軟性に欠け、質の高いアウトプットができるのは経験豊富な人だったりします。
こうした現実がある以上、複数のことについて経験があるのはかなりのアドバンテージがあるのです。
ただ、それでも多くの人は多方面に進んで手を出そうとはしません。これも当たり前です。多くの人にとっては「仕事は邪魔なもの」ですから。
そうして専門を極めんとばかりに成長効率が悪い部分にリソースをつぎ込む人は少なくありません。
経験があれば人を使える
多方面に経験があることのアドバンテージはほかにもあります。
それは人を使えること。
なんでもできる人はその経験の豊富さから、指示を出して人を動かすのも得意です。
もし多方面の経験がなく、ひとつの分野でしか経験がない場合、的確に指示を出すことができません。
人に任せる場合には丸投げすることになってしまいますし、仮に指示を出すとしても相手の立場を考えられないのです。
マーケティングについて考えたことがないのに、マーケティングについて指示を出せるでしょうか?
技術のことに詳しくないのに、サービスやアプリの的確な設計ができるでしょうか?
知識や経験がない場合、的確な指示を出すことができません。
その点、経験豊富な「なんでもできる人」であれば、的確な指示を出して人を使うことができます。浮いた時間でほかのことをすれば、一人ではこなせないような仕事量をこなすことが可能です。
なんでもできる人は、一応は一人ですべてをこなせます。しかし時間は限られており、儲けを最大化しようという場合には何らかの対策が必要です。
そこで人を使うことができれば、膨大な数の仕事も効率よく片付けることが可能。適切でわかりやすい指示を出せば、相手のアウトプットに悩むこともありません。
多くの人は選択と集中の重要性に気付いていない
「なんでもできる人」やゼネラリストはスペシャリスト論者の前では否定されますが、かといってそれをそのまま受け取るのは危険でしょう。
一般に公開される情報にはポジショントークが多く含まれますから、「これからの時代、ゼネラリストはダメだ、スペシャリストだけが生き残る」のような言葉に対してもある程度は疑ってかかる必要があります。
結局、重要となるのは選択と集中。
仕事における重要な「いくつかの」能力に対してはリソースを割り当て、あまり重要でないところは無視する。
これができる人が「なんでもできる人」として人を使い、一人ではなしえないアウトプットを連発するのです。
費用対効果が高いところを見つけ出せ
「なんでもできる人」が有用なのは確かですが、かといってあれこれ構わず手を出せばいいわけでもありません。
手を出す場合には利回りを考える必要があります。
紙の書類からブログの記事まで、最低限の見やすさがあればいい場合、必要以上のデザインを追求するのは時間のムダとなります。
書類は必要事項を漏れなく書いていることが重要。ブログはメインコンテンツである文章や写真が多いことが重要。
どこにリソースを割り振るかを考えないと、時間とお金を浪費してしまいます。
逆に、人よりも成果を出すカギも選択と集中にあり、リソースを投下する場所を間違えなければ一定以上の結果は出ます。
結果が出ない人は、しかるべきところにリソースを投下していないから結果が出せないのです。
能力は組み合わさることで価値が出る
何かに特化するというのは、悪いことではありません。
しかしながら、能力やスキルは掛け算すると価値が出やすいというのは覚えておくべきでしょう。
なんでもできる人というのは複数のスキルの土台を持ち合わせているため、事情を理解する力という点では非常に優秀です。
技術のことしか興味がない、技術は面倒で文系の能力にしか興味がないというように、1つの部分にしか興味がないという人は少なくありません。
少なくないどころか、マジョリティは自分の分野以外には興味を持とうともしません。
そのような状況において、自分と異なる分野・文化のひとと上手にコミュニケーションが取れるひとはどれぐらいいるでしょうか?
「技術者と経営者は話が合わない」というのは、まさに1つのことにしか興味がないというのを表しています。
なんでもできる人、複数の分野をまたげる人というのは、相手の事情を理解することも容易。
どこでどのように言えばいいか、どんな言葉を使えばいいのかを瞬時に考えられるため、相手を不快にさせることもありません。
そしてそのような分野をまたぐという点については、多くのひとができませんし、スキルの組み合わせも人の数だけ存在します。
つまりはそこに希少性が生まれ、価値が上昇する&なくてはならない存在になるという現象が発生します。
なんでもできる人は、掛け算で価値を出す
1つの分野しか見ない人が多数を占める社会においては、なんでもできる人というのは少数派。
なんでもできる人というのはその希少性を理解し、自分の価値を急激に伸ばすことが得意です。
考えてみてください。
技術しかできない、経営しか頭にないという人よりも、両方できる人の方が話しやすいですよね?
デザインだけでなく、プログラミングもできる人、さらにはビジネスの企画・実行までできる人。
このように複数スキルが掛け算されていくと、希少性は指数関数的に上がっていきます。
なんでもできる人については、「ゼネラリストに価値はない」という風潮から、ついつい下に見てしまいがちです。
しかし実際に本質的な主導権を握っているのはゼネラリストであり、なんでもできる人が結局は全てを手にします。
時間やお金は限られているため、選択と集中をうまくこなし、なんでもできる人の方に入ることは非常に重要です。
今の生活に満足していない、現状を変えたいと思っているのであれば、最低限マイナスをなくしたうえで、「みんな片方しかできていない」という部分を攻めるとうまくいきます。
まとめ
スペシャリストに関する話を聞くと、どうしてもゼネラリストを過小評価してしまいがちです。
しかし重要度の高い能力にポイントが割り振られていれば、ゼネラリストも十分活躍することができます。
一般に言われるスペシャリスト論の落とし穴もここにあって、「専門分野も複数の分野から成り立つもの」という前提は飛ばされがちです。
そこに気づいた人が多方面に手を出して知識と経験を積み、「なんでもできる人」として結果を出していくのです。