「理系=コミュ障」という風潮はずっと前から存在します。「理系」という言葉には「オタク」というイメージがあり、専門知識の詳しさが忘れられているのが現実です。
理系で勉強できる人、口下手な人がコミュ障扱いされていじられる。その一方で口がうまい人は苦労せずに結果を出している…。
そのような光景、あなたも一度は見たことがあるでしょう。
実際には理系はコミュ障ではなく、専門知識という観点から見ればコミュ障とは正反対。口下手なだけ、口数が少ないだけでコミュ障と断定するのはおかしいです。
仕事においては専門知識がないとうまくコミュニケーションを取れませんし、専門知識の不足はのちのち面倒な問題を引き起こします。
それでも専門知識の重要性に気づかず、口がうまいだけの人は多数。結局、口がうまいだけの人が神として扱われるのが大半であり、コミュ障の定義すら気にされない始末です。
「理系=コミュ障」という風潮を鵜呑みにするのは危険で、大小さまざまな炎上の原因になっていたりします。
目次
コミュニケーションは知識が前提
「コミュ障」という言葉を連発している人も、実際にはコミュ障が何たるかをわかっていなかったりします。そうして口下手な人をいじるのはよくある光景です。
コミュニケーションというものが意思疎通である以上は、実は「口下手=コミュ障」としてしまうのは間違っています。
理系学部や理系とされる職業の場合、口ではなく知識や技術がメインのことが多いので、パッと見でコミュ障扱いされるのもわからなくはないでしょう。
しかし口の上手さをもってコミュ障かどうかと定義する姿勢は本質を外しており、特に仕事の場では非常に危険な考え方です。
知識がないとマトモに話せない
仕事であろうとそうでなかろうと、コミュニケーションには知識が欠かせません。仕事であれば専門知識、プライベートであれば相手のことを知らないと、話すのもむずかしくなってしまいます。
たとえば仕事におけるプレゼンで、よくわからないところを突っ込まれると詰まってしまうでしょう。それはその部分を勉強していないからであって、口下手だからではありません。
打ち合わせや交渉についても同じことがいえ、知っている部分であればスラスラと答えることができますが、知らない部分をスラスラと答えられる人はいません。
プライベートの付き合いにおいても、相手の要求を理解できていれば気の利いた振る舞いが可能ですし、相手のことを考えられないと機嫌を損ねてしまいます。
女子相手に解決策ではなく共感を示すのと同じです。
結局「理系=コミュ障」「口下手=コミュ障」というのはコミュニケーションの本質を無視したものなのです。
もしそれらの考え方が正しいとすれば、言われなくても気を利かせて動く人までコミュ障ということになってしまいます。
さらには相手の動きを読む対人戦そのものまでコミュ障になってしまい、矛盾だらけです。
専門知識を甘く見ることなかれ
「理系=コミュ障」の短絡的な考え方は、知識や事情に疎い「本当のコミュ障」を生み出す原因でしかありません。
世の中に「理系=コミュ障」という人が増え、口ばっかりで知識なしの人が増えてしまったらどうでしょうか?
仕事をする人がいない、インフラのあちこちで炎上が起きるなど、ロクなことがありませんよね。
口だけの人が増えてスカスカの会社、要求や仕様をよく理解せずに炎上する人など、コミュ障を誤解した先には悲惨な結末が待っています。
仕事における取り引きで問題が起きるのも同じで、要求する仕様がハッキリしていないと揉めたり問題が起きたりといいことがひとつもありません。
意味も定義も知らないから炎上する
口が上手い人だけが褒められ、専門知識や適切な行動関係なしに、口下手ならコミュ障とされる。
このような風潮が増えるから、専門知識や事情に疎い、本当のコミュ障が減らないのです。
本当のコミュ障は口下手というものではなくて、相手の考えを汲み取れない、気遣いができない、要求を理解できないというもの。これは勉強不足なために発生します。
相手が困惑するようなことを、止まらないで延々と喋り続ける。肝心の要件はあまり聞かず、責任逃れだけに走ってしまう。
こんな人が「自分はコミュ力がある!口下手はコミュ障だ!」なんて思ってしまうのが普通と化していますから、炎上が発生するのも当然のことです。
コミュ力を上げたければ勉強せよ
相手の考えを理解し、適切な返答や行動をする。これこそが真のコミュニケーション強者であり、勉強によって補える部分は非常に多いです。
今は本のみならず、ネットまで出てきています。本で基礎知識、ネットで細かい最先端のことを勉強すれば、一般レベルまではコミュニケーションが取れるようになるでしょう。
つまりコミュニケーションは勉強によって成り立つ部分が大きく、無勉強な人ほどコミュ障に陥りやすいのです。
専門用語を聞いてもスラスラと受け答えができるか。提示された内容の意味を理解できるか。わからない所はわからないと言うことができるか。
突き詰めると単純なのですが、多くの人が勉強をしたがりません。
仕事がデキる人とデキない人に分かれる原因もこれで、短期間で結果を出す人は例外なく勉強しています。
コミュ障は勉強で克服できる
「口下手=コミュ障」という認識が一般化し、「理系=オタク」「オタク=コミュ障」というイメージが普通となっているのが現状です。
そのため「勉強がコミュニケーション能力を強化する」といっても多くの人が読書をしませんし、専門知識を自分で勉強しようともしません。
その一方で仕事がデキる人は自主的に勉強し、読書による自己投資にも積極的です。デキる人はミスが少ないのは当然のこと、人に教えることまで仕事にできます。
コミュニケーションが勉強によって改善できるのは、人に教える場面を想像するとわかりやすいでしょう。
学校教育を例にとると
「◯◯くん、これわからないから教えて~」
「ここはこうやって、ここは××の定理を使って…」
「う~ん、ちょっとよくわからないんだけど。この計算が引っかかるの…」
「もしかして××の定理、わからない?もうちょっとわかりやすく説明したほうがいい?」
「うん、お願い!」
みたいな感じ。
勉強していればつまづきやすいポイントを理解し、相手の要求を把握して適切な返答ができます。
上記の例では、勉強することが「つまづきポイントを理解」し、「相手の言いたいこと」を理解できています。
勉強がコミュニケーションを強化するというのはこういうことであり、これが仕事のレベルにまでなれば、要件の定義、相手の要求などを的確に把握できるでしょう。
人に教える、対話するといった場面で勉強は大きく効果を発揮し、わかりやすい話、誤解のなさといった点で影響してくるのです。
まとめ
専門知識をロクに理解せず、口の上手さや責任逃れの能力だけが重視される。
「理系=コミュ障」という風潮は口だけの人を増加させており、「理系=オタク」「オタク=コミュ障」といったイメージが悪い流れをを修正不可能にしています。
本当のコミュ障とは口下手な人ではなく、相手の意図を汲み取って行動する人。問題を起こさず質の高い仕事をする人は、コミュニケーション能力の塊なのです。
補足
専門知識の有無がコミュニケーション能力を決めるというのは、専門用語だらけの会話についていけるかどうかと言い換えることもできます。
ただ話を聞くのではなくて、相手の発言の意図をしっかり理解できるのがコミュニケーション。
専門用語をわかったフリではなく本当に理解していれば、全体としてはかなりスムーズに話が進みます。
もし専門用語だらけの環境についていけない場合は相手との差がありすぎるか、そもそもその場にいるべきではないのかのどちらか。
わからない時は素直に申し出るのが炎上回避の基本。
本当のコミュ障は専門用語だらけの会話を理解できず、その一方でわかったフリをしているものです。