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「友達が遊んでいる時に努力するやつが成功する」の裏の意味

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成功者やプロアスリートの話題では「成功するのは、友達が遊んでいるときに努力したやつだ」というのがしばしば語られます。

確かに事実であることは間違いないのですが、これをそのままとってしまうと悲壮感だらけの悲しさしか感じることができないでしょう。

実際のところ、「友達付き合いを捨ててまで努力したやつが成功する」というのは物事の一面をとらえたに過ぎず、

  • 友達付き合いよりも楽しいことを見つけてしまった
  • 遊んで消費することより楽しいことに出会えた
  • 魅力的なメンターに出会えた

というのを悲壮感漂うように表現しているだけです。

なぜ悲壮感だらけのように表現するかといえば、視聴者に満足してもらうため。

天才肌バリバリでフィーリングで進んできたなんて言おうものなら大衆から妬みを買ってしまいますし、そもそもマス向けのニュースは悲しい論調のものが好まれるからです。

 

目次

 

「遊ぶよりも楽しいこと」を見つけた者が成功する

ニュースで成功者の話題となれば、友達付き合いを捨ててまで努力してきたことが語られることがあります。

友達付き合いを捨てて努力というのは事実なのですが、「辛くて苦しいけど耐えてきた」的な感じを出すため、さも遊びを自ら捨ててまで、辛い思いをしてきたというのが強調されることは多いです。

たしかにそのような言い方は事実を伝えてはいますが、それを鵜呑みにしてしまうとほとんど何も得られないでしょう。

まわりからすればストイックでいつも努力しているように見えますが、本人からすれば楽しくてやっているパターンは珍しくありません。

マス向けのメディアでは悲壮感が重要なため、「友達付き合いを捨てて努力した」面がことさらに強調されます。

マスメディアを消費して楽しむ層は表面上はネガティヴな空気が嫌いといいながらも、実際には「辛かったけど耐えた」みたいなストーリーが大好きなので、あえて辛さを強調した書き方をするのです。

 

夢中で打ち込めることを見つける

たしかに成功するためには人付き合いを捨てて孤独になるのが大切なのですが、友達付き合いを捨てることがそのまま成功する条件へと結びついてはよろしくないでしょう。

時間のなさや情報の質という問題があって友達付き合いにテコ入れすべきであって、成功するためのいち手段という位置づけでないと本質を見失います。

マスメディアでよく言われる「友達付き合いを捨ててまで努力したやつが成功する」というのは

人付き合いを捨てること=成功の条件

みたいなニュアンスがありますが、実際のところどうなのかといえば

成功するには時間の量や情報の質が大切だ

友達付き合いで遊んでいては時間が足りないし、消費しかしない人と付き合っていても何も得られない

友達付き合いをやめる

というものだったり、あるいは

友達と遊ぶよりも楽しくて夢中になれることがある

友達付き合いで得られる楽しさなんて馴れ合いでママゴトのようだ

友達付き合いなんていらないよね

みたいな感じだったりします。

成功者が孤独というのは事実なのですが、遊びでの付き合い以上に楽しめるものがあったというのも否定できないでしょう。

むしろ夢中になれることがないと人付き合いを捨てるなんてできませんし、友達付き合いを捨てるというのは合理的思考の結果に過ぎません。

 

努力を努力と思わない

友達付き合いという言葉には馴れ合いや遊びのニュアンスがあります。だからこそ友達付き合いを捨てることは悲しく見えるわけです。

そのうえ毎日ストイックに努力というのですから、さも辛いことであるかのように感じてしまうのは当然のことでしょう。

しかしながら実際に夢中になれること、努力を努力と思わないことを見つけるとそこまで辛いものではなくて、むしろ楽しくて仕方がないくらいです。

友達付き合いや友達の多さが大切と言われることは多いですが、これは

  • 抜け駆け禁止の風潮
  • 消費をさせるための刷り込み

というものの現れということができます。成功するには友達付き合いを捨てることが重要とされますが、これは抜け駆けにあたるため、普通の人は簡単には友達付き合いを捨てることができません。

実際にはやり方を間違わなければ友達付き合いをやめても問題ありませんし、そもそも一人で夢中になることそのものにも問題ありません。

 

夢中になれるからこそ一人で打ち込める

成功者には努力している面があるのは事実ですが、夢中になれることを見つけたから成功したのも事実です。

夢中になれることを見つけないと時間やお金を投じられませんし、友達付き合いをしないで打ち込むなんてのも不可能でしょう。

世の中では自分の得意に打ち込んで結果を出そうとすると叩かれ、付き合いを断ることそのものがタブーとされます。

なぜ一人で物事に打ち込むのがタブーとされるかというと、同期や下の人間が力をつけるのを防ぐためです。

下の人間が力を付けてしまっては、上の人間の席がなくなります。だから上の人間は席を取られないように、かつ自分の成果が損なわれない範囲で、下の人間を育てなければなりません。

一人でコツコツ努力するヒマを与えてしまっては、力を付けられて自分の立場がなくなること必至。

時間やお金の面でリソースを与えてしまっては抜け駆けされるため、人付き合いという名目でお金や時間を消費させるのです。

 

打ち込めることを見つけてひたすらリソースを投入せよ

日本社会においては得意に打ち込むことよりも苦しいことに耐えることの方が褒められます。苦手克服が強調されるのも同じこと。

これもまた抜け駆け防止の一部で、得意に打ち込む人が増えるというのはライバルの増加につながります。苦手に耐えることが強調されるのはそのためでもあるのです。

実際に一人で打ち込むことがダメかというと、そんなことはありません。

お金や時間を投じて力をつける方が人生うまくいきますし、友達付き合いを一時的になくしても問題ないです。

一人で時間を忘れて打ち込めばその分能力がつきますし、仕事かプライベートかに関わらず、一定以上の結果を出せるというのは稼ぎや人脈につながります。

つまり時間を投じて打ち込むことで人生が豊かになるため、夢中になれることに一人で打ち込んでも問題ないのです。

人付き合いや人間関係については、自分の得意に打ち込むことでできる人間関係の方が満足できることでしょう。

遊びでの人間関係なんて馴れ合いみたいなもので、自分のプロフェッショナルに打ち込むことでできる出会いの楽しさは馴れ合いの比ではありません。

 

悲観的に考える必要はない

  • 人生を好転させたい
  • 楽しい人生にしたい
  • 成功して稼いで有名になりたい

このような考えや気持ちがあるからといって卑しいわけではありませんし、孤独をおそれる必要もありません。

好きなことに打ち込めば友達がいないなんて気にならないもので、打ち込んでいることがどうだとか、自己投資をどうすればいいかぐらいしか気にならないものです。

だから「友達付き合いを捨ててまで努力した」という表現を見てもそこまで悲観的にとらえる必要はありませんし、「あの人はそれほどまでに打ち込める何かがあったんだなぁ」ぐらいにとらえて問題ありません。

好きなことに前のめりで打ち込み、友達関係も気にならないぐらい夢中になれた。その結果うまくいき、孤独だけど充実した生活を送っている。これが成功者の実像です。

 

好きなこと、得意なことを見つけると悲観的に考えなくなる

自分が時間を忘れて取り組めること、夢中になれることに取り組めば、友達付き合いがないことも気にならなくなるでしょう。

友達付き合いがないことをいちいち気にする必要もなくなります。

友達付き合いがないと不安だというのは「友達がいないやつはダメだ」という刷り込みか、夢中になれることがないということが原因です。

  • 友達付き合いは本当にないとダメなの?
  • 一人で夢中で打ち込むことっていいことなんじゃないの?

このような素朴な疑問が生じてくるのはごく自然なことなのですが、マスメディアの情報を鵜呑みにしてしまうと疑問に思わなくなってしまいます。

実際に一人で打ち込めるものがあれば生活は楽しく、やっていることで頭がいっぱいになるでしょう。夢中になれることに打ち込めば、成功する可能性もなくはありません。

 

まとめ

結局のところ、成功者についてのコンテンツでは「友達付き合いを捨てた」というのが極端に強調されすぎています

友達付き合いを捨てたから成功したというわけではなくて、時間のなさや入ってくる情報の質のために友達付き合いを制限したと考えるのが自然といえるでしょう。

友達と遊ぶよりも楽しいことを見つけたからこそ、一人でひたすらに打ち込めたのです。

友達がいないのはダメだというのは刷り込みに過ぎず、実際には自分を磨いて人を引き寄せた方が生活は充実します。

今は友達がいなくとも、自分のプロフェッショナルに打ち込むうちに自然と付き合いができることでしょう。

友達がいないこと、友達付き合いに行けないことを悲観する必要はありません。

 

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