勉強が毎日できない。
読書を習慣化したいけど安定しない。
記事を書きたいけど安定しない。
こういうのはかなりのひとが遭遇しているものと思われます。
原因は大抵時間か疲れのどちらかにあるのですが、その解決はそこまで簡単ではありません。
解決にあたっては論理的に考える必要があり、解決方法のひとつに「不安定なのを受け入れる」というのがあります。
「時間」とか「疲れ」とかキーワードを出すと、必ずといっていいほど「それぐらいできないならやめちまえ」とか言ってくるひとが出てきますが、それではゼロイチというほかないでしょう。
精神論がまったく使えないわけではありませんが、かといってすべて精神論でおさまるかといえばちがいます。
一定量以上は論理や科学を入れる必要があって、心の問題ではどうにもならない部分というのは少なからず存在します。
だとすれば理詰めでいけるところまでいってしまった方がよく、時間の使い方を見直し、それでもムリがあったら何かを捨てるという順番にすべきです。
目次
クリエイティヴは不安定さと表裏一体
知的生産活動やアウトプットと呼ばれるものは、不安定で当たり前と考えるのがいいでしょう。
クリエイティヴなことほど気分や体調に左右されやすいのは事実ですので、最低限のノルマを設定するぐらいしかやりようがありません。
さらにはやったことと結果が比例しないなんて場合もあるので、安定化に対するモチベーションは上がらなくても仕方ないでしょう。
そのためムリに安定化しない方がよくて、予約投稿機能を使うなど、安定化は一定ラインで割りきってしまうのもひとつの手です。
だいたい、みんながみんな安定化することができたらどうでしょうか?
それも、睡眠時間削って追い込むレベルを毎日こなせるようになるぐらい。
それができたらみんなお金持ちやエライひとになっているはずでしょう。
しかしながら現実にはほとんどのひとにムラがあるもので、一定ライン付近でブレるというのもめずらしくありません。
予約投稿、事前調査・計画の徹底、etc…
アウトプットの安定化なんて、多くのひとが求める「普通」というのとあんまり変わりません。
多かれ少なかれバラつきは存在するので、知的生産においてはそのバラつきへの対処の方が効果的。
普通を追い求めて消耗するように、自分の最高レベルを安定化させようとすると消耗する可能性が高いです。
不安定さで悩んでいるヒマがあったら
- 最低限のノルマを決める
- 平均でどれぐらいやるかを決める
あたりをやるといいでしょう。方向性としては不安定なことへの対処療法といった感じです。
不安定さはゼロにできませんので、マニュアル化によってムリなく減らせるところまで減らせたら、あとは割りきって取り組んだほうがいいです。
不安定なら、そのうえでどうするのか
まず最初に、不安定さを受け入れることからはじめましょう。
安定化させるというのは一見すればあるべき姿のように見えますが、ちょっと見方を変えると手段のように見ることもできます。
たとえば「毎日ブログ記事を書く」みたいなのは、安定化の典型的な例でしょう。たしかに、一定のペースで更新し続けることには効果があります。
しかし毎日更新が必ずしもPVなどの結果を保証するわけではありませんし、キーワードを決めて書くというのもひとつのやり方です。
つまるところ、安定化というのはPV等を得るのには一定の効果を持ちますが、やり方がそれしかないわけではありません。SEOや複数サイト運営など、他にもいろいろとやり方は存在します。
また、記事を書くにしても毎日時間を確保するのがムリなひともいるでしょう。
その場合には予約投稿機能を使うという手もありますし、数字で判断するならSEOや複数サイト運営も手段として有効です。
「毎日」やるというのはやり方として否定はしませんが、あくまでもひとつのやり方としてとらえておくべきでしょう。所詮は結果を出すためのいち手段と割りきっておく方が目的もハッキリとしますし、更新することそのものが目的化する事態を防げます。
アウトプットが安定化しないなら、それを前提として動くのがいいです。
不安定というのは性格によるものが大きいですし、また知的生産というクリエイティヴなものについてはそれ自体が不安定となりやすいです。
そこを踏まえて毎日一定量アウトプットするのか、ばらつきはあってもいいが平均には気をつけるのか、目標とともに判断しましょう。
完全に直すのは不可能として、そこから考える
不安定なこと、特に毎日やるのがむずかしい場合には、直すよりも対処方法を考えた方がいいでしょう。
もちろん時間や体力が奪われる原因そのものが取り除ける場合には解決すればいいのですが、どうしても取り除けない場合には朝活や効率化を考えたほうがいいです。
理想としては何の波もなく、安定してアウトプットをくりかえすこと。
しかしながら現実には思わぬところで予定が入ってきたりします。
仕事を前倒しで片付けろと言われる理由のひとつはそのような急用がありますし、調子のいいうちにまとめて片付けることができれば、アウトプットが悪くなるということも少ないです。
わたしたちは時間があるとつい油断し、放置してしまいやすいですが、時間のあるうちにやらないと結果が悲惨なことになるというのは誰もが通る道です。
アウトプットが安定化しない原因は急用以外にもモチベーションの影響、体力のなさが絡んできます。
ひとことに安定化しないといっても実際にはさまざまなものが原因となっており、小手先の時短術では対応できないものは多いです。
また人間は生き物である以上は変化し、感情で動く。それゆえに行動がブレてしまいがち。
安定化させるというのはある意味でムリをしている部分があるので、不安定なのを受け入れるという考え方は欠かせません。
モチベーションにムラがある、疲れやすいといった性質を考慮したうえで最低限のノルマを考える。
ここらへんは精神論だけではどうしても限界があります。
だとすれば自分を客観視して理詰めで考え、その日のうちにやるべきことを決めてしまうが吉。
疲れや眠気に対してはさっさと寝るという考え方があるように、1日にこなせる知的生産についても不安定なのは割りきったほうが合理的です。
できるときに集中する
不安定さへの対策のひとつとして、できるときに集中してやってしまうというのがあります。
自分の調子のいいときにはアホみたいに打ち込んでしまい、調子の悪い時は体力が落ちない程度に課題をこなす。巷で言われる精神論とは真逆の考え方です。
集中する期間については別に1日に制限するわけではなくて、1ヶ月単位でやるなど、さまざまな方法があります。
それらに共通するものとしては、忍耐力と集中力がベースとなるのがあげられます。
1ヶ月なら1ヶ月、2週間なら2週間、やるべきことと生活をともにする。
これは学校教育的な観点からすれば夏休みの最終日のようなもので、褒められたものではありません。
しかしながら短期間でこなすことができるというのはそれだけ急用が入っておじゃんになる可能性を低減できますし、余った時間で磨きをかけたり別のことをやるといったこともできます。
さらには調子の悪い時期を避けられるなど、メリットはさまざまです。
一般的には「毎日やる」「計画を立ててコツコツと」みたいなのがお利口さんで褒められるわけです。
しかし最終的な結果という観点から考えれば、「1日で最低限のラインを満たし、締め切りに間に合わせた」というのでも問題ないわけです。
短期的な視点では褒められませんが、長期的に考えた場合には必ずしも悪いわけではなくて、条件によっては有効なやり方。
それをアウトプットが不安定な場合にも適用することで、
- 調子のいいときに合わせてバリバリこなしてしまう
- 短期間での集中により、急用が入る回数や可能性を抑える
というのができるのです。
自分の勉強については締め切りがありませんが、こういうのを締め切りがある場合に適用するにあたっては、余裕をもって片付けるのと組み合わせる必要が出てくるでしょう。
その場合もちょっと工夫するだけでよく、自分で締め切りを設定したりだとか、空き時間を自由に使えるようにするなどさまざまに工夫ができます。
また好きなこと、自然体で打ち込めることをやっていれば、自然と締め切りまで余裕を持ってやることに取り組もうと思うようになります。
いずれにしても、ごく短い期間で集中してこなす、最初のキツさを乗り越えるあたりは何をするにしても変わりません。
朝活の導入
では、集中して取り組むにあたっては何をするべきか。
答えとしては複数あるのですが、朝活を起点やパーツとして取り入れるというのもひとつのやり方です。
朝活そのものは集中力をもって取り組む方法として一般的ですが、活動時間の開始を早められるのも特徴です。
何がいいかというと、1日の時間の使い方にムダがなくなること。
早寝早起きを習慣づけることによって集中力をともなって活動できるほか、寝る前のダラダラした時間がなくなり、締まった生活となります。
フツーに12時に寝て7時に起きる生活を送っていては、寝る前の夜の時間はあんまりよろしくありませんし、朝の時間を活用できません。
寝る前に関してはニコニコ見てないでとっとと寝ろというようなものですし、朝起きることに関してもみんな朝活なんてやらないわけですから、進んでやれるひとの方が少ないです。
そんなんですから、朝活や早寝早起きというのはできればその分お得なことであり、習慣化できれば集中力、時間の質といったアドバンテージが手に入ります。
そしてそのような抜本的な時間節約術をすることにより、1日1日を有意義に過ごせます。
朝活が身につけば集中力と時間のムダ排除ができるので、集中月間みたいなのをやるには効果的なやり方です。
これとご飯の時間をずらすのを合わせるとイイ感じ。
生活リズムを他人とずらすことによって行列を回避でき、また時間の質もよくなる。覚えられると強いです。集中して取り組む時期においては有効なやり方です。
参考:
土日は休みという風潮を疑おう
個人的に、土日は強制で休みという風潮は疑ったほうがいいのではと思います。
もし土日強制休みの風潮を盲信している場合、せっかく調子のいいところに土日休日が来てしまった場合に大幅な機会損失となります。
そのため土日もほかと同じ1日24時間というような心構えの方がよく、みんな活動したがらない日、ぐらいにとどめておいた方がいいです。
そもそもの話、土日が休みなんていうのは作られた風潮です。
そのような消費者的な風潮を盲信していては、時間を有効に使えるということはありません。
2週間や1ヶ月集中してやるにあたっては土日もやる覚悟でいたほうがよく、また強制的に休むという考えでは調子のいいときに休んでしまうことにつながります。
当然ながらそのような風潮は「できるときに集中」というのと相性が悪いですし、休みを捨ててまでやりたいと思う姿勢があるのとないのとでは全然ちがってきます。
この点については、一部のお利口さんタイプは得意なところでしょう。
中高の段階から部活動に入っていたひとであれば、土日なんてないような生活だったでしょう。
実際わたしもそうで、土日がないような生活が習慣化したところ、休日の過ごし方がわからないという状況です。
土日も活動しろなんていうのは義務教育の段階から身につきはじめるもので、小さいころに身についた「月月火水木金金」みたいな感覚は捨てようと思っても捨てられません。どうせなら活用しちゃいましょう。笑
このような考え方では土日や休日を平日とみなして動くことで、スケジュールの組みやすさがあがるという性質をもちます。
1日の時間ではなく週や月単位でフレックス化するので、行動に柔軟性を持たせられる。
言いかえればこれは調子のいいところに土日が入ってきても、何の問題もなしに動き続けられるということです。
タスクをこなす順番やタイミングを自由に決められるので、かなり柔軟に動き回れます。
やるべきことをマニュアル化
マニュアル化、計画づくりというのは、集中期間をやるにあたっては欠かせません。
やるべきことが見える、明文化されているというのはそれだけ考える手間が減るため、思考停止で取り組むことができます。
それによって動きにムダがなくなりますし、また考えるエネルギーを別の所に使えるのも事実。やることが見えているだけでもぜんぜんちがってきます。
クリエイティヴな活動について、アウトプットが不安定化する原因としてはやることがハッキリしていないというのがあります。
事前にこれでもかというほどやることを決めてしまえば、その日にやることもハッキリとしてくるでしょう。
あくまでも1日ごとに大がかりな計画づくりをするから知的生産そのものに影響するわけで、方針的なのはあらかじめ決めておき、逆算や細分化を事前準備の段階からやってくのです。
ある期間のあいだにどれぐらいのアウトプットをしたいのかを考え、そのためにはどういう戦略でいったらいいのか。
そのためには何が大切で、逆にやってはいけないことは何なのか。
そこから1週間、1日の過ごし方はどのようなものになるのか。
このようにアウトプット量を有限のものとしゴールから逆算して決めていけば、その日にやることについても迷いがなくなるはずです。
マニュアル化というのはここで取り上げたクリエイティヴな活動以外にも、さまざまなところで安定性を生みます。
モラルや精神論による制御というのが美しいのは確かですが、現実論として安定性には欠けます。
やはりやるべきことを明文化し、システム化してしまうほうが、結果として安定するもの。
集中月間等においては不文律というのは邪魔なものでしかなく、マニュアル化によって集中月間を効率化することは必須レベルです。
マニュアル化による安定化については、不安定を受け入れる姿勢と矛盾するように見えるかもしれません。
不安定を受け入れることに対していいたいのは、ゼロにはできないということです。
つまりは容易に減らせる部分については減らした方がよく、むずかしい部分についてはそこまで考える必要もない。
これは節約の話と同じで、不安定は一定レベルまでは排除し、残りは排除できないものとして受け入れるのがベターです。
根性論だけではむずかしい
これ系の話が出ると、必ずといっていいほど根性論や精神論によるツッコミが出てきます。
たしかに精神的なものは大切ですし、わたし自身も欠かせない要素であると考えております。
しかしながら精神論ですべてがうまくいくわけでもなくて、科学や論理の力を借りる方が合理的といえるでしょう。
自分のキャパなど現実的な視点を加えることで、ようやく実用性が出てくるのです。
「時間がない、なら他を削れ」みたいな話はどこにでも存在する話題です。
その類のテーマの記事は尽きることがなく、睡眠時間を削るというのが出てくることもめずらしくはありません。
実際には睡眠時間を削るというのは最終手段であり、機材に投資したりとやりようはさまざま。
また疲れや体力というのを考慮して考えるのは余計な不安定さを取り除くことにつながります。
根性論による解決策というのは提案が楽ですし、コンテンツとしての美しさもあります。
しかしながら現実的には精神論ですべてがおさまるわけではなく、もし精神論だけですべてがうまくいったらみんな億万長者です。
現実には億万長者はごく少数で、シミュレーションの甘さ、継続力のなさが原因となって脱落するパターンは多数。
心構えさえよければ万事解決というわけではありません。
精神的なものと論理的なものを組み合わせた考え方というのは、あまり語られません。
だからこそ重要なのであり、大切なポイントというのは語られない部分にあります。
そのようなバランスのいい方法については書いても「甘い」だのとコメントをされて叩かれるのが見えていたり、あるいはコンテンツとしてのウケのよさがないので、語られないのでしょう。
コンテンツとしては理論か精神のどちらかに偏った記事が好まれますが、実用性で考えれば両者のバランスのよい方が効果的です。
忍耐や精神論もバランスが重要
忍耐力や精神論ありきの考え方というのは、ハッキリいえばバランスが悪いです。
実際には論理的な考え方と組み合わせた方がよく、精神的なものを扱うにあたっても適度に組み合わせることが求められます。
精神だけ、論理だけというのは考えるのがラクです。
しかし自分のことを扱うにあたっては正確さに欠け、実用性がありません。
シミュレーションという観点から考えると、考えるものは複数あったほうがベター。
自分のことをいちばんよく理解しているのは自分なので、それをシミュレーションや計画づくりに使わない手はありません。
根性論だけ、論理だけの文章というのは、コンテンツとして見たほうがいいでしょう。
コンテンツとしてウケがいいのは偏ったものであり、平凡なものはあんまり目立ちません。
またコンテンツとして優秀であっても、それが自分のためになるかといえばこれまた別問題。
文学や理想論としてはよくても、いざ現実に落としこむとなった場合にうまくはたらかないというのは多数存在します。
つまるところ、実用的な面を考えるうえではバランスを重視すべきです。
これは言葉ではわかっていたとしても、実際に考えるとなるとむずかしい。
時短術はその典型であり、節約本や雑誌に書いてあることを実践してみると単なるコンテンツということも結構あります。書いてあることがすべて正しいとは限らず、特に大衆向けのものについてはノウハウではなくコンテンツという場合が多いです。
時短術や時間を作る関連の記事では、時間を捻出せよだのといったことや、細々とした部分しか語られません。
実際に大切なのはもっと大きな部分ということはザラで、メジャー向けのメディアにノウハウを期待するのはまちがいです。
これも考えてみれば当たり前のことで、メジャー向けのメディアでは地味なものやグロテスクなことを書いても読まれません。
大衆が求めているのはあくまでも「夢」であってノウハウではないのです。
このブログではノウハウを色々と扱います。
アウトプットの不安定さや時間のなさについては悪条件を考慮する必要があり、特に
- 体力
- 疲れ
といったものを考慮するのは有効です。
疲れまで視野にいれて考える
時間やお金というものが話題にあがる一方で、それらが体力と結び付けられることはあまりありません。
しかしながら疲れを数値化したり、確率的に考えることができれば、かなりの実用性をもつシミュレーションができるでしょう。
時間やお金とちがって数値化することがむずかしいですが、体力や疲れといった項目を作って数値化するというのはできると強いです。
帰宅時の疲れの度合いとアウトプットを記録してみて、その量にちがいが見られたら、その原因を考察する。
基本はそのような定量評価であり、文字数やページ数を用いた考察あたりは効果的です。
データを取りつづけているとアウトプットが減少したり不安定になったりする要因が見えてくるので、変化が大きいところを中心に条件をまとめてみる。
それによって原因や対処法が見えてくるので、WHYを繰り返して解決すればいいです。
たとえば字数で考える場合。
1日1万字書くことを基準とした場合
- まったく書けない
- 5000字ぐらいで止まってしまう
- 1万字付近
- 1万字を余裕で超えてしまう(2万字、3万字など)
というように、ラインの超え方に着目してみましょう。
そしてラインを超えなかったりまったく書けなかった場合にはなぜできなかったのかを考えてみて、原因を特定してみる。
ざっくりとでもいいので、データから考えてみると原因が見えてくるものです。
疲れの度合いを数段階でもいいのでランク付けしてみて、それによってアウトプットの量はどのぐらい変化するのか。どのぐらいの確率でどのぐらいの影響が出るのか。
たとえきちんとした学問が確立されていなくとも、こういうのを考えるのはムダではないでしょう。それどころか数値化して考える能力が磨かれます。
数値化というのはあまり言われませんが、ニーズの強い能力です。
概算でもいいので数値化して考えられれば問題解決も容易になりますし、またムリのない計画を立てることも可能です。
さらに正確さがともなえば演繹法につながり、革新的なアイデアを生み出すもとになることも。
表立って言われることはほとんどありませんが、戦略的で便利なこの能力、できる人間は評価されやすいです。
精神論も頼りすぎは効果がない
精神論についてはまったくのムダというわけではありませんが、かといってそれだけで全部がうまくいくというわけでもありません。
論理とうまく組み合わせて使う類のもので、扱うにあたってはバランスが求められます。
精神論や根性論だけで考えるのはたしかに楽なのですが、それだけでは安定性や正確さに欠けるのは否定できません。
人間が生き物である以上、精神や感情を考えるというのは一定の効果を発揮します。
しかしいくら生き物といっても行動には一定のルールがあるのは事実ですし、そのひとなりの個性があるのも事実です。
そのためある程度まではモデル化して考えることができ、論理によってムダの発見ができたりします。
感情の部分をブラックボックスとして考えれば、ほんのちょっとの考察でもそこそこのアイデアを出すのは可能です。
論理だけ、精神だけというのは文章のうえではすばらしいです。
多くのひとが読む文章についてはそっちのほうがわかりやすく、バランスのとれすぎた文章というのは尖っていないのであまりおもしろくありません。
バランスのとれた思考がどこで役に立つかといえば、実用面。
メリットデメリットが書きつくされた文章はコンテンツには向きませんが、シミュレーションをするのには向いています。
シミュレーションそのものは結構地味です。
データ取りや情報収集があまり華やかなものではないので、「こんなことをして意味があるのか」みたいなことを考えてしまうのも想像に難くありません。
しかしそのような地味で誰もやりたがらないところにこそうまくいくカギが存在し、そこでしっかりと向き合ったひとがうまくいくもの。
シミュレーションそのものは成功を保証するわけではありませんが、論理で考えることによりうまくいく確率を上げることはできます。不安定への対策として有効なのはいうまでもないことです。
厳しくシミュレーション
計画づくりやシミュレーションするにあたっては厳しめの視点を心がけ、願望や欲望は入れないようにしましょう。
特にアウトプットや知的活動に関するものについては基本的に自分で考えることになりますので、「調子がよければこれだけできる!」みたいな願望が入りやすいです。
そのようなものが入り込んでしまうと正確さが失われてしまい、せっかくの考察も効果半減。
つねに最悪のパフォーマンスで考えることを忘れず、そのうえで確率的なものを入れてやるといいです。精神的なものについては確率の出番です。
願望や思い込みを入れないというのは、言葉で理解するのは容易です。子供でもわかるでしょう。
しかしいざ実際にやるとなると、最初のうちは過大評価や過小評価になってしまいがち。
客観というのもそこまで簡単な話ではなくて、特に自分のことを扱う場合には数字で考えることが重要。
原則的には最悪の場合を考慮し、多少うまくいくパターン、もっとも良いパターンとの比較について数字や確率といった観点から推測しましょう。
アウトプットに関しては、自分の最高の状態で考えるのはあまりよろしくないでしょう。
最高のパフォーマンスはあくまでも参考値としてとらえ、実際には週平均や最低値など、現実的なデータの方が重要です。
そしてほかの要素と比較してみて、その関係性について着目してみるといいでしょう。
たとえば空き時間とアウトプットの関係性を見てみて、空き時間とのあいだに強い相関が見られた場合には空き時間のなさやばらつきが不安定の原因になりますし、関係性がなければ時間ではなく疲れ方などほかのところに問題があると考えることができます。
シミュレーションについては、スケジュールとの関係性をみるのも手です。
スケジュールの埋まり方や内容を見てみて、過去のデータから自分のアウトプットできる量を予測し、来月の様子を考えるというのをやってみるといいかもしれません。
こんな感じで、実際に考えてみるとシミュレーションそのものもクリエイティヴでおもしろいことに気づくでしょう。
そうです。シミュレーションそのものも知的活動の一種なのです。
楽しみながら問題解決ができるとかおもしろいじゃないですか。リテラシーやフレームワークを身につけてやってみるだけの価値はあります。
まとめ
時間がない、アウトプットが安定しないなど、身近な問題についても理詰めである程度まで改善することは可能です。
アウトプットの不安定さについては考えるのをやめてしまえばそこで終わりですが、不安定なら不安定なりに対策を考えていけばある程度までは改善されます。
論理による考え方と精神の考え方をバランスよく組み合わせていけば、多かれ少なかれ問題点が見えてくるでしょう。問題点がわかったらあとは愚直に解決に取り組み、いい方向にもっていくだけです。
自分のことをいちばんよく理解しているのは自分。
だとすれば自分のことは自分で考えたほうがいいです。
特に他人には言わない部分もあるでしょうし、本当に問題解決しようと思ったら自分のことを客観視するのは基本中の基本。
そこで忍耐強く考え抜けば問題が見えてきますし、思考放棄してしまえばそこまでです。
数値化については勉強や文筆以外にもさまざまなところに使うことができます。
それこそ人間関係を数値化して考えることができれば、おもしろいぐらいに周囲の動きがわかってくることでしょう。
もっとも、人間同士の関係とか動きについてはネットワークだとかそこら辺が絡んできますので、それはそれでおもしろいものが見えるでしょう。
いずれにせよ、名前のある学問として成り立っていなくても科学のモデルを用いて考えることはムダではありません。広く教養を身につけるメリットのひとつもそこに存在します。