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振りきれた性格やマイノリティの立ち回り方 極端な性格は「最後に」得をする

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振りきれた性格のひと、マイノリティになってしまうタイプのひとは、しばしば人間関係で悩みます。

あるいは世間体や恥というものに対しての考え方がまわりとズレており、反りが合わないということも。

そのようなゼロイチな点について、わたしとしては克服する必要はないと思います。
あえて克服しないとでもいいましょうか。

まわりとの関係が多少ギスギスすることはあっても、長い目で見た場合にはふつうよりもいい結果を出しやすいです。

 

目次

 

個性は局所で光る

極端な性格、マイノリティになってしまう性格というのは、農村型ムラ社会においては居づらいものです。
しかしそのような性質は、裏を返せば

  • 普通のひととちがったやり方ができる
  • 局所的なパフォーマンスは平均よりも上

というようなものがあります。

全部が全部とはいいませんが、マジョリティに属さないタイプのひとにはこういうのが少なくありません。

体感的に、そのようなタイプのひとというのは自分でノウハウを覚えたり、短期的・狭い分野における集中力については得意というのも多いです。

また普通のひととのちがいは、多くのひとが通る「道」を歩かないというのをしばしば引き起こします。

すなわち平凡なやり方を好まないということもあり、時として勝負師になることもあります。

極端な話をすれば、10個ぐらいチャンスがあったら、普通のひとはリソースを均等に割り振ってしまいます。

これに対してマイノリティになってしまうひと、振りきれた性格のひとは自分の得意なところ、いけると感じたところにリソースを集中というのもめずらしくありません。

勝負師になりやすいこと以外にも、1週間、1ヶ月といった短期間に集中してこなすスタンスを得意とする、チャンスを与えられるのではなく見つける・作ってしまうというのもあります。

とにかく、マイノリティになってしまう、性格が振り切れているひとというのはそれだけ普通とはちがった特性を持っており、まわりとはちがう部分が必ずしもマイナスになるわけではないのです。

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極端さをかかえるマイノリティがどうやって生きていけばいいかといえば、自分が勝てる土俵を探すしかありません。

そのため土俵の探し方や立ち回りについては生きていくうちに覚えますし、そのような個人プレイ的な思考回路ができあがっていきます。

それどころか短期集中やニッチの発見というのが染み付いてしまい、普通のひとには理解できないような形でこなすスタイルが身につくことも。

常人には理解できない方法でやれるというのは武器になります。

そしてマイノリティのひとが結果を出すにあたっては、「最後に勝つ」という流れになることもめずらしくありません。

一般的な視点から見た場合、普通とはちがったやり方というのはまったく理解できなかったり失敗するように見えるもの。

しかしながらやっている本人としては方向性や流れが見えており、勝ちパターンを意識していたりします。

やり方そのものが常人には理解できないため、「結果が出るまでは叩かれまくる、けど最後は大逆転」みたいなのはザラです。

マイノリティとしてやっていくには、それ相応の心構えを持っていた方がいいのは事実です。

マイノリティのひと、自分なりのやり方を確立しているひとにとって批判の9割は役に立ちませんし、結果が出るまではこれでもかというほどいじめられます。

孤独や批判に潰されないためには、あらかじめ構えておくとやりやすいです。

 

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極端な性格のひとが身につけるべきもの

振りきれた性格のひと、マイノリティになってしまうひとは

  • 忍耐力
  • フレームワーク
  • 編集能力
  • 素直さ
  • 目立つ目立たないのメリハリ

あたりを身につけるとイイ感じ。

何も考えなければ叩かれて終わってしまいますが、自分の軸を持ち、かつこれらを身につけ動いていくことで、叩かれながらも勝負をすることができます。

ここらへんの能力が全部一定レベル以上まで身につけば、批判が飛んでこようがまあ何とかなります。

こういうのがないからこそ軸がぶれるのであって、マイノリティが下手に八方美人しようとすると何も残りません。

それよりかは振りきれていた方が最終的に結果が出やすく、自分なりのやり方で取り組む姿勢もわすれてはなりません。

 

基本は忍耐

みんなとちがう方法で物事に取り組む場合、結果の出方がちがってくるのはよくあることです。

みんなが結果出ているなかで自分だけ出ていないとかもザラにありますので、結果が出るまで耐えるぐらいの忍耐は必要。

また自分のやっていることに正しさを持たせるためにも、継続についての忍耐力も欠かせません。

つまるところ、マイノリティは結果がすべてであり、結果が出るまでは辛抱です。

結果を出すにあたってはひたすらの努力はもちろんのこと、周囲の動きに惑わされないことが重要です。

自分だけ高い目標を立て、まわりの方が先に結果が出ていたという経験、一回ぐらいはあるでしょう。

あるいはやり方そのものがみんなとちがっていて、成功するというデータは見当たらない。

こういうのはマイノリティとして過ごしているとよくあることですので、忍耐力は色々な意味で大切です。

また振りきれた性格というのは受け入れられないもの。

人間関係のなかで孤立してしまったり、自分だけ超スピードで進めてしまうというのはよくあることです。

まわりがついてこない、理解してもらえないというのは、一般人に理解できないような方法でやっていれば当然のこと。

みんなが理解できないようなことをできるからこそ、少数の人間が大きな利益を得られるのです。

周囲とちがう条件ややり方で取り組むにあたっては、失敗するのではという不安に襲われるでしょう。

しかしそうだからこそ普通にやっていては出せないぐらいの結果を出せるのです。

チャレンジという視点でみれば、振りきれた性格のひとは独特なやり方で取り組むことで突出した結果を出せるので、普通のひとと比べて有利。

みんなとちがう、成功例が少ない、前例がないという状況下でもやり抜くことで、自分のやってきたことの正しさを証明できるのです。

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フレームワークを身につける

マイノリティになっちゃうひと、性格が振り切れているひとは、フレームワークを使えるようにしておくといいでしょう。

ロジカルシンキング本に書いてあるようなものでいいので、自分の扱いやすい思考法を身につけておけば、ありあまるパワーをいい方向に向けられます。

振りきれた考え方、極端な取り組み方というのは、持っているエネルギー自体はすごいんです。

だからこそ正しい方向に使えたときには飛び抜けた結果を出しますし、失敗したときにはゼロというのもめずらしくありません。

そこにあるのはリソース全投入であり、方向の正しさが求められるもの。

そこでモレなくダブりなくという姿勢で計画を立てることによって、持っている力を結果が出る方向に使えます。

フレームワークを用いて考えるのは、方向の正しさを考えるうえでは欠かせません。

直感によって突き進むのは重要ですが、そこにフレームワークによる解析が加わることで正確さは上がります。

自分のやっていることに対して客観的に分析したり、落とし穴がないかを考えることによって、結果を出せずに失敗するというのが起こりにくくなるもの。

これは「リスクを取るならほかのところではリスクを取らない」みたいな考え方で、リスクの取り方ということができます。

どこが障害となるか、どこに落とし穴が潜んでいるかを考えるのは、リスクを減らすにあたっては普通。

考えるにあたってはフレームワークを使って考えるのがよく、モレのない思考につながります。

 

編集能力がつくと強い

編集能力が身につけば、コミュニケーションにおいて苦労することが少なくなります。

振りきれた考え方、ふつうとは異なる考え方というのは、そのまんま言葉にしてしまうと脊髄反射を食らうでしょう。

「お前にはムリ」「そんなやり方では”絶対”成功しない」みたいなのは当然のように飛んできますし、そのような言葉を返されては消耗するだけ。

そのため外部に対しては黒子を意識したほうがよくて、自分の発現を編集するというのは不可欠です。

ひとは予想以上にイメージで判断したがる生き物です。

マジョリティがひとを判断するのにいちばん大切なのは、ロジックでもなくフィーリングでもなく、イメージ。

多くのひとにとってはイメージや先入観で考えるのが普通で、むずかしい思考などしたくないわけです。

こっちが何と言おうともイメージで語りたがり、いざ叩いていた人物が成功すると手のひらを返したように褒め称えます。

極端な話、多くのひとは自分の言ったことを忘れます。

未熟者に対しては「お前にはムリ」といいながらも、叩いていた人物が結果を出せば、自分が叩いていたことなど忘れてしまうものです。

所詮はそれぐらいのことしかしてきませんので、反射で返ってきたことばを気にしてはいけませんし、反射させることに対してはメリットもありません。

成功者がノウハウを語りたがらない理由のひとつもこれです。

物事の成功失敗なんてのは運と努力によるものが大きいのですが、初心者相手にそれを言ったところで「でも」と返されます。

アドバイスする側はせっかくいい情報を提供しても否定されるばかりで、自分が消耗するだけ。

そうして「でも」と返してきた初心者は失敗し、「こんなもの二度とやるか」といって去っていってしまう。

それが見えているからこそ虚しさや消耗を感じ、大衆向けにはウケそうな答えを用意しているわけです。

 

質問力と素直さ

わからないときは素直に訊く。
質問するにあたってはわかりやすい形でまとめる。

みんながやらないやり方というのはそれだけ行き詰まることが多く、そのような場合には素直に訊くのが手っ取り早いです。

素直に訊くというのについては、愚直に実行するという極端さを持つのがいちばんでしょう。

質問できるだけの情報をまとめておいて、どうしてもわからないところがあったら訊いてみる。

これはPDCAをガンガン回すのに似ていて、計画してやってみて、わからないところがあったら訊いてみて、次に生かすというのをグルグル回すということです。

わからないところっていくら考えてもわからないものです。

そうである以上は一定のラインで質問することを決めてしまい、それを愚直に実行するのみ。

「こんなことを訊くの?」みたいなのでもとにかく訊いてしまい、問題解決を早めるのみ。

余計なプライドなんて捨ててしまい、質問の原資となる情報を回収したらとっとと質問しましょう。

質問をまとめるというのは、これまた編集能力です。

質問を相手にわかりやすい形でまとめるのは当然のことですが、その「わかりやすい形」を考えるうえでは編集能力は必須。

返答において編集をかけるのは当然で、質問するにあたっても編集は欠かせません。

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ゼロイチの存在感

まわりとちがうところが多数存在する場合、目立つ目立たないを両極端にするというのはかなり有効な立ち回り方です。

普段は存在感を消すぐらいの目立たなさでノイズを消しておき、目立つべきところでは徹底して目立つ。

目立たないことは承認欲求を満たしませんが、余計な返答をして消耗するよりはだいぶマシです。

目立つことについてのノウハウとして有名なのは

  • 目立たないことで批判を回避する
  • 目立つなら徹底的に目立つ

の2つ。

下手に目立つことはデメリットの方が勝ってしまいますし、叩かれることで精神的に病んでしまってもおかしくはありません。

また目立つのであればこれでもかというほど目立ったほうがよくて、叩かれることを上回るぐらいのメリットがなければなりません。

存在感を考えるにあたっては、ゼロイチで考えるといいでしょう。

これは戦略レベルで考えたほうがいい話で、目立つ目立たないを最初に決めてしまったほうがあとあとやりやすい。

たしかに承認欲求というカベはありますが、よっぽどのことがない限り承認欲求は邪魔になります。

承認欲求を持つよりは自己目標や数値目標を持つほうが合理的ですし、またかっこよくもあります。

ホント「○○年で△△億稼ぐ」みたいな目標でもいいので、データや自分に認められるという形をとったほうがいいです。

そのほうがかえって気楽にやれますし、ひとに認められないことによるストレスもなくなるもの。

承認欲求は短期的にはいいエネルギー源になりますが、長期的に考えれば必ずしもいいインセンティヴとはいえません。

承認欲求を捨て、戦略ですべてを考える。

目立つことによる消耗を考えた場合、このような考え方のほうがマイノリティには向いています。

もし目立つのであれば徹底的に目立ってしまい、影響力を利用して何かをするというやり方がいいです。

マイノリティの人間ほど黒子であることの効果は大きく、持っているパワーやエネルギーが大きいがために、目立たないことによる効果の大きさもぜんぜんちがってきます。

 

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マイノリティのプロセスと結果

性格が振り切れているひと、普通のやり方が合わないひとというのは、結果が出るまでのプロセスではひたすら耐える必要があります。

常人にはわからない分、取り組み方そのものは冒険ともいえるでしょう。

冒険をするからこそ最後に勝つことができますし、その結果も飛び抜けたものになるのです。

冒険をするにあたっては

  • 批判に耐える
  • 思考の道具を増やす
  • 要点をおさえる

あたりは必須で、勝負師としてうまく立ちまわる必要があるともいえるでしょう。

勝てる勝負しかしない、徹底した分析を行うというのは、マイノリティとして生きていくのであれば身につけておく必要があります。

最後に勝つということを考えてそこから逆算し、現状とのギャップを考える。

ギャップを明確にしたら細分化していき、やるべきことを明確にする。

やるべきことが決まったら愚直にそれを実行し、たとえ叩かれようとも自分の信念を貫く。

こういうのは性格が振りきれている、エネルギーに満ちあふれているひとがやってこそ効果があるわけで、フツーのひとがこれをやっても大した結果が出ないどころかレールに乗っかってた方がマシという結果につながりかねません。

 

受験は最後に結果が出る典型

みんなとちがうやり方というのは、大抵、最後の最後に大成功するものです。

途中まではレールの上を走っているひとのほうが結果が出やすく、自分の手元にはまだ何もないことに焦ってしまいがち。

だからといってそこでやり方を変え、普通のやり方にしてしまっては、ゼロからの再スタートとなってしまい、遅れを取るだけです。

これと決めたら最後までやり抜く必要があって、ロジックのうえで正しいのであればやり抜くことを意識しましょう。

あらかじめ計画をたてる段階で

  • どこが勝負になるのか
  • 最終的にはどのような結果になるのか

あたりは見えるはずなので、それをもとにひたすら実行していくのみ。

やることによってはひととちがう手法を求められることもあり、自分で考えるクセというのは欠かせません。

わたしが大学受験をしたときは、最後の最後に結果が出るというパターンでした。

当時高校生だったわたしは部活とネトゲに明け暮れ、肝心の受験はというと薦なんて考えていませんでした。笑

模試の成績も目立つほどというわけではなく、得意教科で校内ランキングに載るぐらい。

そんなだったので、大学受験の際には周囲から「お前がそんなところを受けて入れるはずがない」みたいなことを散々言われてました。

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結果が出ているのといえば下の方に名前があるランキングと、小論文がクラスでいちばんになったことぐらい。

それでも先生と自分を信じ、課題をこなしては英字新聞。

大学受験に向けて勉強していた頃は「志望校よりもむずかしい問題を解いていれば入れるだろ」みたいなのがあって、その考えのもとにやっていたら入ってしまいました。

受験について考えていたのは一般入試でしたし、まわりもみんな一般入試しか考えていない友達ばかり。

普通のひとだったら推薦の話がまず最初に出てくるところですが、前提条件からしてちがいます。笑

一般入試を目標に考えたらあとは過去問を分析し、誘導がないパターンを解いてみたり、文量が多い英語を読んでみたり。

普通のひとだったら絶望してあきらめてしまい、ランクを下げるような場面です。それでも問題の性質から考えて勉強していった結果、うまくいきました。

結局、意識したことといえば

  • 一般入試にリソース全投入
  • 受かると思ってひたすら勉強
  • 取れる問題や科目を見極める

ぐらい。

一般入試で入ればいいという考え方は高校に入ってからはじまったものではありませんし、入試問題のなかで英語だけクソ簡単というのは最初からわかっていました。

そのうえで取れそうな問題、部分点をもらえそうな回答のしかたを見つけ出し、そこだけ徹底して取り組む。これ以外は何もありません。

前例主義やお墨付き主義に陥っていると、どうしてもこのような考え方はできません。

自分がどれぐらいの能力があるのかは実際にやってみないとわかりませんし、未来のことを予測するのも不可能です。

持っているものから考えるしかなくて、前例にこだわる姿勢というのは自分を過小評価されることにつながります。

上記のやり方で受験勉強するにあたっては「受かるかわからない」みたいなのがたくさんありましたが、それでもやってみたら成功しました。

やっている最中は叩かれまくりで、バッシングの嵐。

それでもいけると思った方法を試したところ、うまくいった。

結果が出たのは最後であり、そこまではほとんど何もない状態が続いていました。マジョリティじゃなきゃイヤというひとは、最後に結果が出る類のやり方には向いていません。

 

マイノリティは冒険

みんなとちがうやり方で取り組むというのは、冒険といっても過言ではありません。

多くのひとが通る道というのは整備されており、先も見やすい。

逆にみんなが通らない道というのはそもそも開けてすらいなくて、道とすら呼べないことも多い。

みんながやるやり方は結果も予想しやすいですが、みんながやらないやり方というのは予想しづらく、先行きの不透明も強いです。

だからといってマジョリティのやり方に変える必要はなくて、いけると思ったらその手法でやればいいのです。

たしかに前例のなさゆえの不安はあるでしょう。

しかしマイノリティの通る道というのはいつもそのようなもので、「本当にうまくいくのかな?」みたいに思えてしまっても仕方ありません。

そもそもの話、うまくいくように見えるのは前例があるからであって、前例がなければうまくいかないように見えるのも当然のこと。

特にやっているひとが少ない場合には成功失敗のデータすらないことも多く、結果が予測できないこと自体に不安を感じるひとは多いです。

また前例がないとはいっても、別の分野を見れば似たような事例はいくらでも転がっています。

物事の本質というのはあまり変わることがなくて、ほかのところで起きたことがこっちでも起きるなんてのもめずらしくありません。

だとすれば思考の型をもってして分析するのがよくて、うまくいきそうだなと感じたら冒険であっても実行。

少数派の道というのは決まってそういうもので、本質を見極める能力さえついてしまえば、あとは実行力と忍耐力です。

過去の事例の分析にあたっては、思考の型を用いて分析すると効率よく分析できます。
データが揃い次第、「なぜ」を徹底的に追求していく、あるいは要素ごとに分解してしまい、関係性を考える。

それによって全体像が見えてくるので、自分のやり方とマッチングさせるだけ。
思考の型でパパっと分析し、冒険に使えるデータを増やしてしまいましょう。

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80対20の法則で動け

冒険するにあたってはさまざまなやり方がありますが、80対20の法則は覚えておいて損はありません。

数ある法則やフレームワークのなかでも、80対20はかなり使える部類。
時間が限られているときなんかは結構使えます。

結果の8割は全体の2割の時間で生み出されるもの。

つまりは重要な部分を見ぬいておさえればいいわけで、リソースが限られているときはその2割の部分を優先して取り組むというのが定石です。

使えるものが限られている状況では、全部均等にやっていたら中途半端になってしまいます。

特に時間なんかは不足しがちであり、ポイントをおさえた対処というのは欠かせません。

冒険的なことをするにしても、勝負となるところで勝てばいいわけです。

ある場面での結果が重要で、それ以外での結果がたいしたことない場合、すべてに均等にリソースを割り振るというのは愚行です。

10回のうちの1勝がすべてをひっくり返せるとしたら、そこに全リソースをぶっこむのがスジでしょう。

取るところを落とさないというのは重要で、その1勝を逃してのこり9勝をしたとしても意味はありません。

もしあなたが80対20を実行しようとすると、そこには邪魔が入り込むでしょう。

そしてその邪魔というのが、まわりからの批判だったり、負けや失敗に対する恥ずかしさだったり。

フツーのひとは失敗そのものに目が行ってしまい、10回のうち全部に均等に割り振るということをします。

また均等に割り振るクセを他人にも強要するもので、結果ではなくプロセスの方が重要という本末転倒な議論になりやすいです。平凡な結果になるのは言うまでもありません。

あなたがマイノリティや勝負師だとしたら、重要な1回を見ぬいてそこに全投入というのを軸として持つべきです。

少ないところに賭けるというのには常に批判がつきまといますが、それでも信念をもって体力を割り振り、失敗を考えずに取り組むべき。

失敗後の対処なんて最初にしておけばいいわけで、決断するときに失敗を振り返る必要性を残してはならないのです。

80対20については上記以外にもあって、80対20を批判してくるひとというのはドリームキラーな場合が多いです。

そもそもの話、80対20を愚直に実行できるのであれば批判をしないはずですし、また本当に本質を見抜けるひとがあなたの身の回りにいるはずがありません。

愚直に実行できず、不要なところにリソースを投入するからこそ挑戦をおそれる性格となってしまうわけで、挑戦をおそれない性格であれば柵の中にいるということもないはず。

本質を見ぬいて挑戦できるひとであればどんどん上のステージに行っているはずであり、フツーの環境にはいません。

 

最後までやり抜く重要性

「批判に耐える」「要点をおさえる」ということを書きましたが、これが抜けては何にもならないというのがあります。

それは最後までやり抜くこと。

信念をもって最後までやり抜く姿勢がなければ、冒険的手法も失敗に終わってしまいます。

自分で考えた手法というのは、かならずしもみんなが歩く道とは限りません。

時として道無き道をいく場合もあり、開拓者になることもあります。

そうした場合には周囲の成功がどうしても気になってしまい、逃げ出したくなってしまうもの。

しかしそこは試されているといっても過言ではなく、辛い、アヤシイという思いからあきらめてしまってはダメなのです。

まだあまり道がひらけていないからこそ莫大な利益や便利なノウハウを得られるわけで、マイノリティであることのメリットは得られるものの多さにあります。

たとえお金でなくともその考え方を覚えるのは重要で、マイノリティに向かう選択をしたことで普通では得られないようなノウハウや考え方が得られます。

そしてそのめずらしい道具こそがまわりとの差異につながることも多い。
みんなが持っていないからこそ差が出るのです。

少数派の選択が、最後に得られるものがすべてをひっくり返すのはあります。

しかし最後の成功にいたるまでの道のりは非常に厳しいもので、信念なしではやっていけません。

あまりにもキツいからこそ理論武装やヴィジョンなど、精神的なものが必要になるのです。

厳しい道をいくにあたっては、できること・論理で分かる範囲についてはやって当たり前。

運や精神といったものが気になるぐらいのレベルになってようやく本番といったところです。

逆にいえば、「自分を信じる」「あとは運だけ」ぐらいのところまで理詰め&努力でやらないと無意味。

極限まで自分を追い込んだ先に成功があるのです。

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まとめ

性格が振りきれたマイノリティとして生きるにあたり、上記のことは身につけておいて損はありません。

みんながいかない道というのは信念をもって取り組む必要がありますが、その分得られるものは大きいです。

みんなとちがうということについては不安になるでしょうけど、そこで逃げずに取り組めば、もしかしたら成功するかもしれません。

マイノリティになりやすい性格のひとはそういうのを受け止め、そのうえでどうするかを考えましょう。

マジョリティのやり方というのは考えなくてよく、楽なやり方です。

ただし結果が出やすい分突出したものにはなりづらく、また結果が出た後のことについては保証されていません。

何かの試験に突破した際には喜ぶでしょうけど、その先に人間関係最悪の環境が待ち受けている可能性についてはほとんど触れられない。

にもかかわらず、大半のひとはその点には目を向けません。実際にはその後の方が重要なんですけど…。

それに比べ、マイノリティの道はデータこそ少ないものの、目標決定からその後のことまで抜かりなく見れるのが強いです。

これは言いかえれば、自分の人生をしっかりと設計するということでもあります。

マイノリティゆえに考える必要が出てきてしまった結果、多くのひとが漠然としか考えない部分について、細かく考えることになる。

それによって自分と向き合うことができるのは当然ですし、またチャンスの存在に気づくこともできます。

 

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