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スポーツは学びの場として優秀 体育会系は不利になるのか

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体育会系については賛否両論です。
しかしながら、最近ではクリエイティヴさの重要性が語られる場面が出てきており、体育会系が不利になるかのように見えます。
たしかに、与えられたことばかりをこなすという一面を見れば、そうなるのも不思議ではありません。

世の中の体育会系のイメージといえば

  • 脳筋
  • 従順さ
  • 上下関係

といったように、クリエイティヴさとはかけ離れています。
そのようなイメージがあることから「求められる人材が変化してきている」というテーマで、体育会系が不利になるというのはたまに言われます。
不利になるとまではいかないものの、求められる能力の変化からそこまで肯定的にとらえられないというのもめずらしくはありません。

 

表面的なところだけを見れば、体育会系はいまの時代には適合しないでしょう。
あるいは、「求められる人材が変化してきている」とはいうものの、実際には庶民の願望という可能性も。
そこにネガティヴな報道が加わり、「体育会系はオワコン」みたいな空気があるのは事実です。

www.itmedia.co.jp

www.huffingtonpost.jp

ですが実際そうかといえばそうでもなく、運動部は自主性や柔軟性がないとやっていけません。
自分で考えて試行錯誤することは多いですし、ひとをまとめるというのはごく当たり前のこと。
大学ともなれば学生が自分で考えて動く、自分を律するなんてのは一定水準以上のものがあります。
その点を考えれば、体育会系が求められなくなるというのはちょっと疑ってかかったほうがいいです。

 

成功は担保しないが、多くのことを学べる

体育会系という経歴は、成功を担保するわけではありません。
しかしながら、多くのことを学べるのは事実でしょう。

  • 忍耐力の重要性
  • 自律能力の必要性
  • 試行錯誤の重要性
  • 頭を下げて教えを乞う

というのは、体育会系で学べることの代表例。
そこにSWOTやシミュレーションなどが入ってきたりと、実際にはかなり幅広くやっています。
さらには思考の型を持っているのが前提で進むところもある(!)ので、一般的なイメージとのギャップは大きいです。

体育会系が不利になる系の文章は「高度成長期は言われたことをやっていればよかった。でもこれからの時代はちがう」みたいな流れがあります。
おそらくは半分コンテンツで、求められる能力が変わっているというのを言いたいのでしょう。
たしかに情報化社会や技術が進んでいるというのであれば、知的産業向けの人間が有利というのはあるでしょう。
かといって体育会系の能力がムダかといえばそうでもなく、特に忍耐力についてはかなり重要になるはずです。

体育会系というのは理不尽さに耐えられる忍耐力がつく以外にも、論理的思考力を身をもって学べます。
大学で入るサークルに迷ったら運動部に入ってもいいぐらい。笑
毎日の練習の最後にうまくいかない点を質問するというのはありますし、自分で調べるぐらいのリテラシーは必須。
やりようによってはひとを使うなんてのも覚えるので、成長するのは確かです。

 

体育会系が不利になると言われているが…

つまるところ、体育会系が不利になるというのは真に受けないほうがいいでしょう。
あくまでも求められる能力がちょっとだけ変わるぐらいで、体育会系がマイナスになるというのは考えづらいです。

一般に言われる体育会系というのは

  • 理不尽の連続
  • 上下関係がすべて

というもの。
これが大衆の思う体育会系というやつですから、不利になるといわれるのがわからないでもありません。
経験者の視点からすると、一般的なイメージとの間にギャップがある印象。
まあ記事そのものがコンテンツですので、そのような細かい点を気にしてもあんま意味はありません。真に受けないことが重要です。

メディアというのは読み手が存在します。
そのため読み手が読んで喜ぶような記事にする必要があり、体育会系が不利になる的な論調、あるいはそのように見える書き方がされてもおかしくはありません。
実際のところ、優秀な人間であれば環境の変化に適合するでしょうし、忍耐力というものがつぶしがきくのは事実。
直接の効果は見込めないにしても、体育会系で得たものが間接的に大きな影響をおよぼすというのも考えられます。

 

スパルタ耐性の強さ

体育会系には忍耐力、もっといえばスパルタに耐えられるというのもあります。
密度のある練習に耐えられるということは、短期学習との相性がバツグンです。

短期学習型の弱いところは、忍耐力のないひとにはムリなところ。
短期学習のカリキュラムを実行するうえではある程度の耐久が必要で、耐久力がないと学習を遂行できません。
逆に、運動部の練習に耐えられるほどの耐久力があれば、それだけ濃い学習ができるということ。
それを運動以外のところに転用すれば化けるのは言うまでもありません。

学習にかかる時間を短縮できるというのは、それだけ問題解決に充てられる時間が増えるということです。
勉強を目的達成の手段と考えた場合、短期学習で済ませられるというのは大きなメリット。
ダラダラと1年以上かけて学ぶのとはちがって、わずかな期間の間に物事を覚えることができる。
それによってスピード感を持てるのも事実です。

 

思考の型とリテラシー

運動部のなかには自分でノートを付けさせるところがあります。
また、練習の最後にわからないことを訊いたり、基礎的な練習を再度くりかえすというのもあります。
さらにはトレーニングに関しても自分である程度の知識をつける必要があり、そこでは情報収集するためのリテラシーが必要です。

入部からあんまり時間がたたないにもかかわらず、それらの取り組みがなされることもめずらしくはありません。
体育会系といえども問題解決型の思考が求められる場面は少なくなく、選手自身による反省・工夫は重要です。
問題解決のための考え方を教えるから覚えろ、自分の弱点とその克服を考えろの世界で、できないというのは通用しない。
ここらへんは種目によってちがいはありますが、こういうのはめずらしくないことです。

実際、運動部のひとが自己啓発本やビジネス書を読んだらいい復習になります。
読んでいるうちに「これ、部活で教わったやつと同じだ」みたいなのが出てくるもので、まったく理解できないというわけではありません。
それどころかスルスルと飲み込めてしまうことも。教育カリキュラムが整っている場合、練習で問題解決型の思考を叩きこまれます。

トレーニングに関しては食事からトレーニングまで、一通り考えられるだけの頭は必要です。
考えるうえでは本を読むのはありますし、自分で考える場面も。早い話、バカにはできない。
リテラシーがないと無理ゲーです。笑

 

まとめ

体育会系に対して、言われたことに従順、上下関係で動くなどのイメージは強いです。
しかし体育会系の人間がそれだけかといえば、そうではありません。
むしろそれ以外の部分の方が多いぐらいで、一般的なイメージはほんの一部分にすぎない。
そのうえ大学ともなれば自分で考えることも多く、場所によっては問題解決型の思考が速攻で身につきます。

スポーツをやることで、問題解決のための道具を手に入れることができます。
あとは本人次第であり、得る情報によって結果も変わってきます。
体育会系で得たものも正しい方向に使ってやれば効果を発揮するもので、方向さえまちがわなければイイ感じといったところ。
適切な教育によって大化けする可能性は否定できません。

 

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