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どうすれば読書習慣が身につくのか 読書の重要性

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読書というものについて、わたしは努力値のように感じているところがあります。
義務教育で授けられる知識がレベル上げだとすれば、読書で得られる知識は努力値。
同年齢での比較という観点から考えた場合、努力値のように考えてもそこまで矛盾しません。

 

読書しているひととそうでないひととでは、大きなちがいがあります。
特にひとりで読書する習慣がついてくると、群れて行動するひととは結構なちがいが出てくるもの。
ひとりで過ごす時間や環境を作り、読書を習慣化したところ

  • 質問に対して即答したり、質問の意図を瞬時に見抜ける
  • 自分なりの考えを持てる
  • どっしりと構えられる

といったような変化がありました。
知識が広がることによる制御のむずかしさがあるとはいえ、得た知識を扱いこなせるぐらいの力量があればマイナスにはなりません。

質問に対する即応性は、日々のインプット・アウトプットによるもの。
インプット・アウトプットの両方とも、習慣化するのはむずかしいものがあります。しかし読書を有効化するにはアウトプットや実践といったものが欠かせませんし、インプットに関しても読むスピードを上げる・時間を作るなど、言い訳せずできる方法でやるということが大切です。
たとえインプットやアウトプットに時間がかかったとしても、それらが習慣化されていれば即応性なんて自然とついてきます。

また、自分なりの考えを持てるようになるのも特徴。
論理的に考えるようになるといっても過言ではありません。
自分のやることやまわりで起きていることに対して言語を用いて考え、そのうえで自分はどう思うか。
そのためには一定量の知識が求められますし、知識量によってできることも増えます。
つまるところ、読書で得られる知識量が、自分なりの考えを持てるようにしているのです。

さらに読書によって知識がついてくると、物事への構え方すらも変わってきます。
知識がなければ身の回りのあらゆる物事について知らないため、不安で仕方がない。
その一方で、読書によって知識をつけた場合、身の回りの物事が理解できるようになり、落とし穴に気づけるようになります。

読書によって知識を付けるというのは、それだけ物事に対する知識を付けるということ。
身の回りのものに対して言語化・図示ができるようになれば、行動が落ち着いたものになります。
つまり、読書して知識量を増やすことで、対処の仕方がケーススタディ式に身についてくるのです。

これから先、読書のスピードをさらに上げることで、変化ももっと出てくることでしょう。
知識を付ければ付けるほど、さまざまな考え方を身につけられる。
たしかに中途半端に知識をつけてしまうと扱いこなせませんが、知識量に応じた技量をつければいい話です。

 

どうすれば習慣化できるか

ただ、上記のような変化はすぐに起こるものではありません。
読書やまとめを習慣化するというのは欠かせませんし、情報の質にも気をつける必要があります。
そのうえで書き出し・実践し、PDCAに取り込んでいく。その過程では自分で考えることがともなうもの。一回一回の効果はあんまり大きくありませんが、続けることでどんどん効果がでてきます。

降ってくるものをただこなしているだけでは、自分で考えるということもありません。
読書によって必要な知識を自分から得ることで、ちょっとずつ効果が出てきます。
それを習慣化することで、効果が積み重なっていくのです。

しかしながら、この「読書習慣」というのがこれまた実現がむずかしいもの。
疲れたときなんかは自分に言い訳してしまい、サボってしまいがちです。
一度サボってしまうと、そこからどんどんサボりグセがついていってしまう。
頭で理解するのは簡単なのですが、いざ実践しようとなるとなかなかにむずかしいです。

結局、忙しいというのは言い訳でしかありません。
自分に言い訳せず、読書する習慣をいかに継続させられるか。ただそれだけなのですが、多くのひとが自分に言い訳をしてしまいます。

たとえ辛くても、どんなに軽い本でもいいので、まずは1ヶ月毎日1冊ずつ読書してみる。
それができればあとは意外と簡単で、急速に習慣化が進みます。
コツは「どんなに軽い本でもいいので」というところ。
継続という習慣づくりのためには、余計なプライドなんていりません。まずは継続そのものを、どんな形であれ、実現すればよいのです。

そのようにして読書習慣ができれば、量をこなすというのが自然体でできています。
あとはそこから密度を上げていけばいいだけで、スピードを上げたりむずかしい本を読んでみたりする。
つまるところ、「読書習慣」という形でベースを作ってしまい、量をこなせる体質になってしまう。そこにきてようやく質の追求ができるのです。

 

やればやるだけ差がつく

習慣化については、上記の方法をそのままやるだけで問題ありません。
何度もいいますが、「どんな本でもいいので」「言い訳せず」「毎日1冊」読む。
たったそれだけのことなんですが、多くのひとが「この本は自分には簡単過ぎる」みたいなプライドを持ってしまい、なかなか習慣化できないもの。
そこができれば、あとは自然と質が上がっていくんですけどね。みんなそこができなくて苦労します。

読書習慣は身に付けるのがむずかしいですが、そこができてしまえば一気に知識がなだれこんできます。
読書が習慣化しているひととしていないひととでは、動きそのものも結構ちがってくるもの。
半年でも毎日本を読んでみてください。同期・同僚との差がついているのに気づくでしょう。
年齢そのものはたいして変わらないのに、パフォーマンスには大きな開きがでてくる。
それが読書であり、努力値という積み重ねなのです。

読書がそのようなものである以上、やったひととやらないひととの間で差がつくのは当然のこと。
今日と明日とでちがいは小さいですが、それが月単位で重なるとちがってきます。
年単位で見た場合、超えられないカベのようなものができているはず。
ひとは一年あれば変われます。読書も例外ではなく、習慣化によって個人を大きく成長させてくれるものです。

 

世の中の見え方がちがってくる

ここで、読書についておもしろいことをひとつ。
読書が習慣化してくると、見える世界も変化してきます。

読書によって知識をつける前は、こんなものしか見えなかった。
けど、読書が習慣化した今ではいろんなものが見える。

読書習慣によって知識がつけば、こういうのがふつうに起こります。
それがチャンスの増加につながるのは、言うまでもないことでしょう。
知識がつくことで身の回りのものを論理立てて説明できるようになり、仕組みが見えてくる。それによってチャンスに気づくことができる。
受信(?)する情報にも変化が生じ、フィルタリングのされ方がぜんぜんちがってきます。

これはおそらく、知識がついたことによって情報の受け取り方が変わったためでしょう。
持っている知識によって情報の受け取り方は変わってきますし、情報にチャンスを見つけられるかどうかも知識レベルでちがいが出るものです。
たとえば政治経済のニュースがあるとして、政治経済の知識があるひととないひととでは反応が異なる。
知識があればニュースの意図することに気づけますが、知識がなければ「そんなの興味ないね」で終わってしまいます。
細切れの情報ほど、持っている知識によって扱いこなせるかが変わってくるものです。

こういうのは、「チャンスの多寡は知識で決まる」ということもできるでしょう。
読書によって知識をつけていれば拾った情報を活かせますが、知識がないと情報を活かせない。
読書によって知識を得ることが、結果としてチャンスの増加につながるのです。

 

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自分からすすんでやるもの

「あのひとはなんであんなに知識があるんだろう」
誰もが一度はそう思ったことがあるはずです。

知識のある人物というのは、例外なく裏で読書しています。
あるいは過去に途方もないぐらいの量を読んでいたか。
いずれにせよ、ラクして物知りになったわけではありません。
みんなが休んでいる時間に、その物知り君は読書をしているのです。

勉強というのは自分でするものであり、誰かに強制されてやるものではありません。
もしあなたが読書に身が入らないと思うのなら、自分の好きな分野の本で習慣化するといいでしょう。

勉強したことが役立つと思えることで、自然と読書できるようになります。
その「役に立つ」というのがポイントで、そこには利害関係が存在します。
利害があれば、あなたとて例外なく動いてしまうでしょう。
読書によって何かを得られると考えることで、必然的に読書するようになってしまうのです。

そして、そこでの読書習慣がほかの本に手を出すきっかけになる可能性は無視できません。
最初は何だっていいんです。はじめのうちは、ポジティヴだろうがネガティヴだろうが、とにかくやってしまえばいい。
動機付けや理由をポジティヴなものにするのは、ある程度時間が経ってからでよし。

まずはどういう形であれ、やった者勝ちなのです。自分の趣味が発端となっても問題ないのです。

 

速読と集中力で駆け抜けろ

そうして努力値をためるあなたを、周囲は邪魔してくるでしょう。
「人付き合いが悪い」「読書ばっかしててオタクっぽい」というのはあるでしょうし、能力差がつくことによる冷やかしもあります。
ですが、あなたはただ読書をしていればいいだけ。冷やかされようが何されようが、とにかく自己鍛錬に集中すればいいのです。

もし仲間が邪魔をしてくるようであれば、距離をおける環境を見つけるといいでしょう。
別室でやったり、自宅でやったり、隠れたイイ感じのカフェでやったり。
そのような環境ならスマホ封じは楽勝ですし、邪魔も入らない。
環境を変えるだけで、効率は大きく改善されます。

読書による努力や自己鍛錬は、周囲からは抜け駆けとみなされがちです。
気づいている気づいていないにかかわらず、周囲の人間は抜け駆けとしてとらえています。
みんながムダ話をしたり、ダラダラ仕事をしたり、ムダな飲み会に行く中、あなたはサクッと仕事を終わらせ、自分に投資する。
そのような行為が異質なものとして映るのは容易に考えられます。

もしあなたが突出した成果を出したいのであれば、そのようなしがらみからは無縁になる必要があります。
上記のような冷やかしやからかいは、あなたが飛び抜けた成果を出さないようにするためのストッパーです。
あなたひとりが大きな結果を出さないように、周囲が邪魔をする。
そのような邪魔をする環境というのは一種のムラです。

あなたが読書して知識をつけ、能力を上げたところで、地球が滅ぶようということもありません。
だとしたら読書によって力をつけ、ひとのために活躍できるようになるのがいいのではないでしょうか。
まわりは冷やかしてきますが、あなたはただ読書の効果を信じて実行するだけ。
そこでの努力値の積み重ねが、あとになって大きな結果を生み出すのです。

 

まとめ

自己投資にしろ何にしろ、やることそのものは簡単です。
読書およびその習慣化については

  • どんな本でもいいのでとにかく読む
  • 冷やかされようが読む
  • 読書のパワーを信じて読む

といったものが大切です。
しかしながら、それらを愚直に実行するのはある種の宗教のようなもの。
「本当に効果があるのか?」と思ってしまいがちですが、そこで信じて実行することで能力がついてきます。

ホント、読書習慣というのは余計なプライドを捨て、かつ言い訳をなくせば意外と実現できます。
しかし多くのひとが「読書はかくあるべし」という思いからむずかしい本に手を出してしまいがちですし、また「疲れた」「時間がない」などと言い訳してしまいます。
その結果として、読書習慣がむずかしいものとなってしまっている。
精神論みたいですが、そういうものなのです。

半年後、一年後のために、今、がんばる。
読書というのはその典型的なやり方です。
読書をしていないひとからすれば想像もつかないでしょうけど、月単位、年単位で実行していくと予想以上にちがってくるもの。
入ってくる情報の見え方は変わりますし、自分なりの考えも持てるようになる。それによってどっしりと構えたり、瞬時に応答できるようになる。
そのような大きなちがいを実現するのが、読書というちいさなものなのです。

 

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