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ブログの読者が減ったときの対処法

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ブログを見ていると定期的に「読者減った!どうしよう!」みたいな記事に出くわします。
たしかに読者が減った原因を考えるのはいいですけど、なんだかなぁ…
そこに費やす時間はムダですし、そもそも取り乱している感が否めない。

何がいいたいのか。

残ってくれた読者のためにいつもどおり記事を書き続けるほうが、圧倒的にいいですよ

ということ。
単純ですが意外とだいじです。

 

だいたい、読者が減ったといっても、全体の読者数からすれば微々たるものじゃないですか。
残っている読者のほうが圧倒的に多く、残ってくれたという事実に目を向けるべきではないでしょうか。

はてなについては「読者になる」のところで、まちがって「読者をやめる」を押しちゃいそうになることも(経験あり)。
パッと見では区別が付きづらく、誤って解除してしまうというのも考えられます。

また、自分と合わないひとが去っていくというのもこれまた自然なことでしょう。
ひとは去るときは去ります。そういうのは止めようがありません。
どんなにこちらが減少を防ごうと頑張ろうとも、去っていくひとは一定数はいるもの。
そこは割り切るしかありません。

 

残ってくれた読者のことを考えろ

たとえば自分の記事がつまらなくなったがために、読者数が減少したとしましょう。
そこであなたは何を考えますか?

わたしだったら、残っている読者の方々に感謝の気持ちを感じます。
いくら厳しい現実を書こうが記事がつまらなくなろうが、それでもそのひとたちは読んでくれているんです。
だとすれば、その個性を残したまま今後も投稿し続ければよい。
残っている読者は自分の個性の部分を見ていると考えることができるのです。

 もしあなたが、幸いなことにとっくに挫折の経験者であれば、心の底から「おめでとう」と祝福したい。
 反対にあなたが挫折の未経験者で、「本当にすごいね」と敬意を表したい。
 だが、万一挫折して誰かの期待に応えられなくなったときがやってきたとしても、それでも尚、あなたを陰で応援してくれている人がいることを忘れてはいけない。そして、その人を生涯大切にしてもらいたい。

 (『「振り回されない」ための60の方法』より)

ブログの読者というのはせいぜいシェアしているのがわかるぐらいで、基本的に目立ちません。
コメントの数よりも読者数の方が圧倒的に多いですが、後者が目立つ形で現れることは少ない。
つまるところ、読者を目立つ形で感じるというのはむずかしいのです。

しかしながら、あなたのブログには常に一定数のPVがある。
それはなぜでしょうか。読者のおかげですよね。
たとえ自分の書く記事に変化がなくても、ついてきてくれる。
そのようなひとたちがあって、あなたのブログは成り立っているのです。

そうとわかれば、やることはひとつ。
ひたすら記事を書き続けること。

個性なんてものは消したくても消せません。
たとえゴマをすろうとも、出るときには出てしまうもの。
あなたが尖った記事を書くひとだとしても、読者はそういうあなたを見ています。
つまりは表面上のことばではなく、もっと踏み込んだ部分を見ているのです。

あなたが新しいテーマに手を付けようと、読者はついてきてくれます。
どんなに努力しようとも個性は消せず、また新しい分野を扱おうが自然と出てきてしまうもの。
つまるところ、ゴマをすろうとしてもできない。
そのためそこは諦めて、あなたらしい記事を書くのが得策です。

 

新規の読者のことも考える

さっき「ひたすら記事を書き続ける」と書きましたが、これは新しい読者のためという観点でも非常に大切です。
新しく自分のブログを読んでくれる読者に対して、あなたはどんなものを提供できますか?
データ量がだいじ、コンテンツ量がだいじというのは、来てくれた読者に応えるためでもあります。
新しく来たひとのために提供できるものがなければダメなのです。

あなたのブログをはじめて読むひとというのは、今までのあなたを知りません。
そこで過去の記事があれば、新しく来た読者に対して差し出せるでしょう。
はじめてあなたのブログを訪れた読者に対して、どれぐらいのコンテンツを提供できるか。
それを考えた場合、記事を書いてコンテンツを生産し続けるという行為は欠かせないのです。

ブログというものはおもしろいことに、やればやるだけおもしろくなっていきます。
特に文字数での成長はわかりやすく、それが結構モチベーションにつながりやすいです。

 1年前のあなたは、はたしてどれぐらいの生産スピードだったでしょうか。
どのような文章を書いていたでしょうか。
今のあなたからすればゴミみたいに感じられるはず。
それほど成長のもつ力は大きく、生産性を上げてくれるものなのです。

そして、そのような正のサイクルがコンテンツ生産スピードを上げるのは言うまでもありません。
あなたが記事を書いて発信し続けることによって、どんどん提供できるものが増えていくのです。

個性を見ている読者のために、ひたすら記事を書き続ける。
そうすることで新しい読者に提供できるものも自然と増えていく。

ブログやウェブサイトというのはこういうもの。
ドメインの力やデータ量が大きいのはたしかですが、生産量という観点でもやはり続けたひとの方が有利なのです。

 

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個性は消せない

どんな記事を書いても、個性は消せません。
「こんなことを書いたら読者が去ってしまうかもしれない」みたいなことを考えるひとは多いでしょうが、そんなことを考えてもムダ。
読者は「このひとならこういうことを書くだろうな」というのをわかっているもので、そこでいくらゴマをすろうとしても、読者にはゴマをすっていることがわかってしまうのです。

考えてみてください。
自分が思いの丈をありのままに綴った記事を書いて、はたして読者は減りましたか?
ほとんどの場合、減らなかったでしょう。もし減ったとしても、全体の読者数と比べると微々たるもの。
操作ミスの可能性が否定出来ないぐらいなはずです。

わたしなんかは高い頻度で感情に任せた記事を書いています。
満員電車、ムダ本購入など、あげればキリがありません。
しかしそのような記事を書いたとしても、みんな読んでくれている。
あなたが思うほどみんな気にしているわけではないのです。

何回も書きますが、個性というのは消せません。
消したくても消せず、出そうと思って出すものでもなく、自然とにじみ出てくるもの。
一時期「新しいものに取り組むと、作風が変化してしまう」とかちょっと話題になりましたが、そこは考えなくてもいいでしょう。
新しいテーマを扱おうが、あなたは今までと同じような記事を書くはず。
少なくとも論理構造が変わるというのは考えづらいです。

あなたがどんな方針でブログを運営しているのかはわかりません。
しかし記事を書いてコンテンツを蓄積しておけば、それを別の場所で提供できるのは事実です。
記事を書いていく作業は足し算ですが、外部でマーケティングをするには足し算で積み重ねられた記事が必要。

いずれにせよ、記事を書くというのはムダなことではないのです。
むしろ読者に対して誠実であるともいえます。

 

ただ堂々と書き続けるだけでいい

クリエイターは、ただ淡々と創作活動に打ち込む。
別に、何かが起きたからといって動じる必要はないのです。

創作活動にしろ何にしろ、事件が起きてもおどろく素振りはいらないのです。
わたしたちは子どものころから、「失敗したらそれっぽく振る舞わなければならない」というのを刷り込まれます。

自分が何かやらかしたとき、落ち込んでいる様子を見せればオトナたちはあんまり怒らない。
逆に、淡々・堂々というおどろかない様子に対しては何かとコメントしてくる。

このような育て方をされれば、トラブルに動じるクセがついてしまうのも当然のことです。

こういうのも対処は簡単。
そういうものだと覚えるだけで全然ちがってきます。
すなわち、何か悪いことが起きて落ち込んでいる姿勢を、オトナたちは望んでいる。
現実には堂々としているほうがよくて、怒られてもただひたすらに指摘された箇所を直したほうがいい方向に進みやすいです。

何か悪いことがあったとしても、いつもどおりやることをこなせばよい。
これは文筆含め、多くのことにあてはまります。
裏切られても、反省をしたらまたいつもどおりの活動に戻る。
つまるところ、あなたはただ読者のために書き続けるだけでよいのです。

 

精神的な支えがあると楽

堂々とし、淡々とことに当たるには、精神的な支えがあると多少楽になります。
手っ取り早いのは自分が尊敬できるひとのことばや思考回路を覚えてしまうこと。
「このひとなら信用できる」というひとを見つけ、その思想や考え方を信じてひたすら頑張るだけ。
尊敬できるひとがいたから頑張れたというひとは少なくないはずです。

考え方に対してわたしたちは根拠を求めてしまいがちですが、尊敬できるひとの言葉には不思議なほど信じ込んでしまいます。
そこに学術的な根拠がないにもかかわらず、そのひとの魅力から突き動かされてしまう。
精神論でしかありませんが、メンターを持つことによって頑張れるひとがほとんどなはずです。

たしかにそういうのが宗教的であるのは否定できませんが、それによってうまくいきやすいのは事実です。
尊敬できるひと・先生と出会って、めちゃくちゃ成長して結果を出せたという経験、一度ぐらいはあるでしょう。それです。
このような考え方はある意味で卵をひとつの籠に盛るようなものではありますが、分散する分の卵がないうちはそうしたほうがよいのです。

誰かのことばを信じて取り組む姿勢に対して、まわりのひとは「お前、それ操られてるよ」とか言ってくるはず。
しかし、あなたが尊敬できると感じたひとです。
あなたのことはあなたがいちばんよくわかっているでしょう。誰のことばを信じるべきか。こういうときはどうすればうまくいくのか。
信念をもって徹底的に取り組むのがいいということは、自分でもわかっているはずです。他人に判断を任せず、あなたが判断し、行動していくのです。

 

ひたすら書き続ける

つまるところ、何があろうとなかろうと、いつもどおりやることをやるだけです。

読者や初見さんのために、文章を書いてコンテンツを作る。
SNSや外部ツールでマーケティング活動をする。
何か迷惑をかけてしまったのなら、迷惑の大きさの範囲で謝る。
毎日書き続ける。

これぐらい、いつもやっていますよね。いつもどおりでいいんです。

世の中にむずかしい横文字は多数あれど、最終的に求められるものは昔から変わりません。
継続した生産、マーケティングなど、やるべきことはずっと変わっていないのです。
忍耐力や生産力が重要と聞いて、頭で理解することはできるでしょう。
あとはやるだけ。やるかやらないか。作業ゲーと言われようがなんだろうが、とにかくやればいいのです。

先ほど引用した『「振り回されない」ための60の方法』の著者も、ただ淡々と書き続けています。
たしかに出している冊数はハンパないですが、基本は同じ。
自分の思考回路やフレーズという道具を使って、ひたすら書き続けているだけです。

世間様は変わったこと、横文字、海外といった非日常を求めてきますが、実際には土台がしっかりしていれば問題なし。
どっしりと構え、淡々とこなすだけ。
自分なりのスタイルを身につけたら、あとは必要に応じてメンターを見つけ、精神をよりよい方向に維持する。
道具とノウハウを持ったら、あとはひたすらコンテンツを作り続ければいいのです。

 

まとめ

常に一定の調子を維持し、淡々とことに当たる。
これを愚直にくりかえすだけで、大抵のことはなんとかなります。
しかし実際には多くのひとがそれを信じられず、別のものに走ってしまうもの。
結局、最後に勝つのは信念を貫くバカという人種なのです。

単純なことほどむずかしいというのは本当です。
もしそれが簡単であれば、誰もが億万長者になっていることでしょう。
しかしながら実際にはそうではない。
ただ信じてリソースを投入するだけなのですが、そのような姿勢が信者と言われるがためにやめてしまうひとは多いです。

 

参考文献