ブログをやっていると記事のコピペに遭うでしょう。
コピペは不正行為のひとつであり、不正行為についてどう考えるかは金銭的なセンスに直結します。
手間暇かけて書いた記事をパクられるのは、たまったものではないでしょう。
そのような気持ちがわからないでもありません。
しかし、単にコピペがあるからブログをやらないというのは機会損失。
コピペがある、不正行為が存在する環境において、それでもやるかどうかというのは考察としておもしろいです。
ブログをやりたいからやる。
広告収入目当てにやる。
これらのどちらにせよ、コピペの問題はついてまわります。
こちらが意識してもしなくても、やっているうちにキュレーションサイトが絡んできたりするものです。
考えるにあたっては、コピペによる被害とのバランスになるでしょう。
コピペがあるからといってブログをやらないというのは、それだけブログに価値を見いだせないということ。
あくまでもコピペによる被害を上回るほどのメリットを感じるからやるのであって、そうでなければ続かないはずです。
多少のパクられは割り切る
記事を公開するというのは、パクられることを覚悟しなければなりません。
特にネットにおいてはパクリやコピペなんてゴロゴロ転がっているもので、公開しておいてパクられるのはイヤだというのはナンセンスです。
自分のと似ている記事があるのは当たり前。自分が考えつくことなんて1万人は考えつくと思ってください。
コピペ批判については倫理や感情がことさらに強調されますが、本質を考えるにあたってそれらは大して意味をなしません。むしろ邪魔なだけ。
自分が何をしようとしているのか、やろうとしていることに対してコピペはどれだけの害を及ぼすのかについて考えるべきです。
あまりにも被害が大きければ対策をすべきですし、別の方法を考えるのが得策。
扱っているのが知的財産権である以上、感情的なものを持ち込む意味はありません。
読まれる記事の書き方なんて決まっていて、炎上しない書き方なんてのも型にはまったものになります。
コピペを批判するにあたってはそのようなものを前提に考える必要があります。
どこまでを著作物とするのかは非常にあいまいで、結局は損得で考えるしかないのです。
不正行為そのものは切る理由にならない
そして、たとえ不正行為があるからといって、それそのものはブログをやらない理由にはなりません。
コピペも所詮はバランス計算のいち要素であり、ほかにも関係するものはいろいろとあります。
ブログというのはあくまでも一例にすぎず、このような考え方は他にも応用がききます。
ルール違反が存在する場において、あなたはどう考えるのか。
違反そのものにばかり注目していてはメリットに気づけませんし、本質を見失います。
- 参入障壁はどれぐらいのものなのか?
- 自分のやっていることはどれぐらいの独自性があるのか?
- パクられやすさはどのぐらいあるのか?
- 他者のルール違反によって、自分にはどれぐらいの被害がおよぶのか?
- 被害とメリットを得られるものを比較して、どちらがどれぐらい勝るのか?
- 結果として、どれぐらい利回りがいいのか?
最低でもここらへんは考えるべきでしょう。
大ざっぱでいいので、これらの質問には答えられるようにしておくべきです。
いくらパクリがダメだといっても、パクリをする人間は一定数存在します。
アンチと同様、そのような人種はクリエイティヴなことをするうえで一定割合現れる不可避な存在。
完全にパクリがないのを求めるというのは、ジュール熱のない世界を求めるのと大差ありません。
数字で考える
やはりというべきか、読まれる記事は全体の1割から2割であって、それらがPVや収益を構成している。
— 村紗カイ (@murasa_kai) 2016年6月12日
コピペについてはPVやお金を生み出している記事についてだけ見ればよく、それらがパクられている場合には管理者に連絡すればいい。
— 村紗カイ (@murasa_kai) 2016年6月12日
損得を考えるにあたっては、数字で考えるクセをつけましょう。
ざっくりとした見方でもいいので、できるようになった方が格段にお得です。
コピペに対応する時間があれば、1記事や2記事は余裕で書けるでしょう。
被害が無視できないほど大きいときに管理者やGoogleに通知すればよく、それだけの消耗に見合うかどうかが大切です。
コピペやキュレーションなんてされるときはされるので、諦めた方がいいでしょう。
コピーされて致命傷になるアイデアであればそもそも公開すべきではないですし、対価を考えて公開を考えましょう。
パクられる、揚げ足を取られるというのは、やられていい気がするものではありません。しかし情報発信するというのは、それらを覚悟のうえやることです。
情報を公開する・発信するというのは多かれ少なかれそういうのがつきまとうので、それを想定した動きが大切。
そういうのに情緒を求めてはならず、損得がすべてです。
不正行為がゼロじゃないからといってやらないのでは、利益を逃します。
何かを得るにあたってはノイズが入り込むもので、純粋なものはほとんど存在しません。
だとすれば使う側の目線に立って考えるしかなく、損失があるものに対して上から目線で評価する必要があります。
まとめ
コピペやパクリに関する記事は、使われる側の目線のものが多いです。
つまりはそれだけ使われる側の考えの人間が多いということであり、使う側の目線に立つことの価値が大きくなります。
コピペがあるからイヤだというのは使われる側の考え方であり、多少の損失には寛容になったほうがいいです。
ただ、こういうのは思考のクセがついていないとむずかしいでしょう。
上から目線で評価してみて、やるに値するか考えるというのは使う側の考え方です。
与えられた条件に対して引いて見れるかというのはここでも重要で、あるとないとでは大違い。
損失に寛容になれるかどうかというのは金銭的なセンスに直結し、使う側の考え方が出来るかの要因になります。
損失があるという条件のもとでバランスを考えられれば使う側の考えですし、損失があるというだけで騒いでしまっては使われる側の考え方です。
クリエイター全体として使われる側の考えのひとが大半で、使う側の人間は多くありません。
そこら辺の考え方ができるかどうかがセンスというものであり、それがお金への姿勢にまんま現れるもの。
「仕事です」と言っておいて料金で騒ぐのと同様、お金に関してラインを引けるかのちがいは大きいです。