自分や他人がどのようなリスク感覚を持っているかを見るには、簡単な方法があります。
それはグレーなものについて考えること。
解釈次第で白黒が変わりやすいものについて考えるのは、リスクに対するセンスを磨く絶好の機械です。
お金に関する法律は解釈の嵐です。
ハッキリとした境目がないものが多く、ラインを引きたいひとにとっては中途半端に感じられることでしょう。
著作権やせどりなんかを調べてみれば、明確な線引きがされていない部分がボロボロ出てきます。
そのようなグレーな部分というのは、お金によるバランスが絡むのが少なくありません。
たとえば著作権の場合、マーケティングとの釣り合いが関係します。
コピペに対して著作者がどう動くのかを考えればわかりやすいでしょう。
パクりによる被害額と、マーケティングにかかる費用を比べてみて、コピペされて有名になる場合にはパクられることに対して寛容な場合が多いです。
もちろん問題はそう単純ではなくて、著作物に関しては出版社の損失まで考える必要があります。
しかしそのように複雑化した段階においても、基本はお金。
経済的な損得で考える場面というのは思いのほか多いです。
グレーなものはリスク計算の典型
前述したように、グレーなものというのは金銭的なバランスが試される場です。
リスク感覚といっても結局はお金の問題ですので、リスクを考えるというのはお金について考えるのと変わりありません。
数値化して考えることには、無機的でネガティヴな印象があるでしょう。
しかし数字で考えることで損得計算が可能になるのも事実です。
数字で考えるにあたっては、厳密な値はそこまで必要ではありません。
おおまかな値さえわかればよく、数字の意味さえ合っていれば大丈夫です。
実際に考えるにあたっては、過去にあった著作権に関する問題について考察するのが一番。
Googleの技術パクりあたりは数値付きでわかりやすいので、簡単かつ模範的な事例です。
このあたりの話は「なぜ理系は数字に弱いのか」というのに通じるものがあります。
たしかに物理的意味を理解している理系人間もいますが、直感的な理解を求めるひとも少なくありません。
その辺りの線引きをできるかできないかの違いがバランス感覚ということであり、リスク感覚と同じものになります。
倫理観で決めつけてはいけない
お金の話になると、必ずといっていいほど倫理という軸を持ち出すひとがでてきます。
見るべくはあくまでもお金の話であって、倫理がどうこうというのは別問題です。
さすがに命を値段で判断するだとかは例外ですが、そこまで重要でない問題の方が圧倒的に多い。
リスク感覚を測るにあたっては、まずはお金という軸で考えましょう。
コピペに関していえば、単に倫理的にダメだからというわけではありません。
もとの著作者が経済的な被害を被るから問題なのです。
もしコピペがお金かかわらず、絶対的にダメなものだとしたらどうでしょうか。
書評ブログなんてものは成り立ちませんし、引用そのものについても立場が揺らぎます。
学校教育においてはお金の話が少ないです。
そのため著作権に関しても「なんとなく」ダメというものになりがちで、お金の話が持ちだされる場面はそこまで多くありません。
持ちだされるとしても数字で考えるというのはまれで、結果としてお金と著作権に関してはあまり詳細を教わらないまま卒業してしまいます。
そのため勉強したひとだけが有利になるというようになっており、文章の自動生成というのはその典型例です。
現実には倫理観が多分に含まれるものが多く、経済的なものが絡んだ議論というのは少ないです。
大半の場合はコピペ○ねで終わってしまいます。
そこでもう一歩踏み込んで考えることで、本質が見えてくることでしょう。
お金で判断するというのは多くのひとが苦手とすることなので、できればできる分だけ他人より優位に立てます。
まとめ
お金であれこれ判断することについては、批判が多数飛んでくるもの。
しかしお金や数字で考えることで本質が見えるのも否定できません。
そしてそのような考え方ができることそのものがリスク感覚です。
幸せはお金で買えるのか?
幸せとはどのようなものなのか?
このようなありふれた話題についても、考察してみると面白いものです。
倫理的、イデオロギー的に決めつけるのは容易ですが、経済的な視点からということになると難易度が急上昇します。
ハッキリとした定義がないものほど難易度は高く、一筋縄ではいきません。
わたしたちは幼いころから、お金に関してネガティヴな刷り込みをされます。
そのため多くのひとがお金と向き合えません。
しかし騙されたと思って向き合ってみると、その正確さに驚くことでしょう。
それほどまでにお金というのは本質をあらわすものなのです。