この間学会に行ってきて感じたのですが、満員電車ってやっぱクソですね。
会場までの移動時間、何もできない時間が続き、生産性が下がりまくり。
たとえひとが少なくなっても、やれることは読書ぐらい。
集中力が下がるというおまけ付きなので、いい印象は持ちません。
あまりにも時間がムダになるので、仕事に就いて稼ぐようになったら絶対に職住接近してやろうと思いました。あまりにももったいないし不快ですし疲れますし。
行きと帰りで数時間が飛ぶとか笑えない。
それだけの時間を自宅で過ごせたらどれだけラクなことでしょう。
電車で移動するというのはあまりにもやれることに選択権がないのでイヤです。
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通勤中のサラリーマンの目は死んでいる? | お金持ちの教科書
似たような話はもう腐るほど出てるでしょう。
ただ、話題になりやすいのは「雇うVS雇われ」の方で、感情的な議論になりがち。
後者の記事みたいに冷めた目で見ているのは少ないです。
冷静に考えて、電車に乗ること自体が時間のムダなんですよね。
できるのであれば乗り物に乗らない。こういうのは目の前の状況ばかり見ていると気付きにくい。
さらには移動することそのものですら時間のムダ。
理想的には完全にリモートでもやれる、移動時間がゼロというやつです。
何もできないって時間のムダ
電車に乗るというだけでもやれることがかなり制限されます。
満員電車ともなれば立っているほかなく、せいぜいスマホを使えるぐらい。
そこまでの集中力が保証されるわけでもなく、時間の質は著しく下がります。
電車に限らず、移動時間というのはムダでしかありません。
その分の時間を他に回せたらどれだけいいことでしょうか。
机でパソコンにカタカタやるのと電車でやるのとでは効率が段違いですし、自宅でもできるとなれば当然他のこともできます。
さらには歩いている時間までもを他に回せますし、その分の体力も充てられます。
そう考えると、どうしても移動時間で数時間潰れるというのは見ていられない。
座ってKindleで本でも読めとか言われても、なんか納得できません。
時間単位でやれることって結構ありますよね。数千字打ったり、集中して本読んだり。
時間のムダに無頓着ってどうよと思います。
移動時間そのものがなくなればいい
にもかかわらず、移動時間についてはそこまでの議論が出てくるわけでもありません。
「サラリーマンVSオーナー社長」みたいな読まれるであろう感情的な記事によって完全に潰されています。
「移動時間 ムダ」で検索すればたしかにそれ系の記事は出てきますけど、もっと出てくる頻度が高くてもいいのではないでしょうか。
現状では「わかるひとだけ知っていればいい」的なものになっています。
せっかくブログという場所がありながら、そういうのが出てきにくいというのはいかがなものでしょうか。
問題提起してもいいのではと個人的には感じます。
ただ、さすがに日本○ね!みたいなのはやりすぎですけど。
ああいうのがフツーにタイトルに使われているのを見ると、なんだか悲しくなってきます。
目の前にある環境について疑いの目を持てというのは、ずーっと前から言われています。
ベンチャー推進みたいな空気がある今なら必ずといっていいほど出てくるフレーズ。
にも関わらず、目の前の世界に疑いの目を持つような意見は少ない。
よくて不満に思うぐらいで、ハッキリと怒っているものについてはめずらしいです。
( ˘ω˘ ) スヤァできるだけでもぜんぜんちがう
2時間長くスヤァできるだけでも全然ちがうもの。
土日の区別すら取っ払ってしまえば、柔軟性は測り知れません。
しかしながらリモートワークが強調されるということは、出席主義や同調圧力がまだまだ多数存在するということです。
場にいることが重要というのがマジョリティの意見で、時間のムダについては本当に無視されます。
移動することによる消耗なんて非合理性の塊ですし、体力の消耗が考慮されることも少ない。
リモートでやろうというのは「ラクをしている」みたいなのがあって、叩かれる対象でしかありません。
リモートワーク可という募集をしているところを見ても、詳細な説明ではもれなくリモートワークが少数派であることが書かれています。
リモートワークを掲げる一方で、「”一部”社員はリモートワークです」と書かれている矛盾っぷり。
だとすればリモートで仕切る・やりとりするなんてのは自分で収入源を作るしかやりようがなく、まだまだ幻想でしかないんだなぁと感じます。
わたし自身は後輩を出席で見るのはあんまり好きじゃないです。
マニュアル化してリモートで仕切って終わりな感じ。
パソ子だけあればいいじゃんみたいな考え方なので、どこかで衝突するだろうなーと感じながら生活しています。
まとめ
移動時間のムダに関する議論はもっと出てもいいのではないでしょうか。
そこまで書くのがむずかしいテーマでもなく、かつ議論のしようがあるテーマでもあります。
「なんとなく」で済ますのではなく、ハッキリとした考えを持っておいて損はしないはず。
機密保持がテーマの記事、でっちあげで人生がパーになるのがテーマの記事、満員電車のすばらしさを語ったキ○ガイな記事など、書き方はさまざまです。
リモートワークに限らず、目に見えないものに対して考えを持てるひとって何かしらのアドバンテージを得られるように思えます。
それは時間だったりお金だったり体力だったりと、どれも重要なものです。
みんなが「なんとなく」で踊っているなかで自分だけ踊らないというのはすごい勇気のいることで、一般論でもかなり否定的。
結局は「限られたひとだけが知っている、非常に便利な考え方」ということになり、その他大勢が不満に思うだけになります。