京大卒の専業主婦の記事、話題になってますね。
記事の内容も、記事へのコメントも、だいたいのひとは言いたいことがわかることでしょう。
書いてあることを理解するだけならそこまで苦労はしません。
しかし、これと似たようなものは実際多いです。
学歴がもととなるのはあくまでも一例にすぎず、学歴が他のものに置き換わっただけというのはわりとよくあること。
この一件に関して考察してみると、色々とおもしろいものが見えてきます。
Aさん:遊びを捨てて勉強していいところに入った。けど自分のやりたいこととちがってる。ならやりたいことをやろう!→みんな学歴しか見てくれない(´・ω・`)
Bさん:Aさんもったいな!あんなとこ出てれば安定して稼げるのに。(学歴をむだ遣いするAさん○ね!)
Cさん:あそこ出ておいてそれかよ。何のためにそこ行ったの。笑(学歴をむだ遣いするAさん○ね!)
Dさん:学歴あるお前がそういう発言をするの、すげームカつく!○ね!
こういうのはめずらしくないでしょう。
別に学歴でなくても職を捨てて独立することにはこういうのがついてまわりますし、理系卒が文系(として扱われる)のことをやろうとすると似たようなことが起こります。
多くのひとはそのギャップに反射的に反応し、その後嫉妬しはじめるのです。
持たざる者からすれば、こういうのはもう憎くて憎くて仕方ありません。
安定した地位を捨てたり生かさない姿そのものは、もったいないという言葉がまんま当てはまります。
だからといってそこでAさんのようなひとを叩いても何かが起きるわけでもない。
その分のエネルギーをポジティヴな方向に発散されるしかありません。
そしてそういうのが騒がれるウラでは
Eさん:(やった!Aさんがいなくなった!ライバルが減ってラッキー!)
みたいなのがあったりするもの。
こういうのはあまりオモテには出ませんが、ライバルが減る、席が空くということについては多くのひとがこういった事を思うのではないでしょうか。
当の本人にはまったく悪気がなくて、「安定した地位をブン投げてやったぜ!すごいだろ!」みたいなのは全然ありません。
やりたいことをやれない環境に対して率直に不満を感じていて、そこで発せられる「お金や地位なんてどうでもいいじゃないか」というのは一般的に語られるのとはちがいます。
学歴は意味がないとは言うものの…
グローバル化、情報化社会、etc…
昨今では実力主義の流れが目立ってきており、学歴は意味がないかのように扱われます。
しかし学歴がこれほどまでに注目されるということは、いまだに人々の判断基準のなかに学歴の占める割合が大きいということ。
肩書はムダだ、などと言われますが、だったらショーンK氏がなぜあんなに叩かれたのでしょうか。
学歴を持ち出す戦法はいまだに有効であり、まだまだ学歴主義の世界だといえます。
人々に評価される、褒めてもらうには学歴が手っ取り早く、東大がブランドとして扱われるのなんかはその典型です。
もし今あなたの目の前におもしろいひとがいて、そのひとがどこともわからない大学の出だったら単におもしろいで終わってしまうでしょう。
しかしそのひとが東大卒だったらどうでしょうか。「東大卒で、しかもおもしろい!神だ!」みたいなことになりますよね。
それほどまでに学歴の持つ力は大きく、人々は肩書や経歴で判断するのです。
これは学歴を資格に変えても同じこと。
TOEICで900点を余裕で取れる学生が名もない中小企業に就職するとなれば、もったいないの嵐ですよね。
つまりはそれと一緒で、持つ者にはそれ相応の活動が期待されているわけです。
そこで小さいことをやるから叩かれるわけで、「学歴があるからには、それに応じた行動をする”べき”だ」というのをほとんどのひとが持っています。
学歴という土俵で勝負するから…
ただ、いくら学歴の力が大きいからといって、学歴というのは原則変えようがありません。
あくまでも学歴というのは過去のことであって、もし変えるとすればお金と時間が必要になります。
だとすれば他のところで勝負すればいいわけで、お金や技術力を引き合いに出せばいいのです。
あなたの身の回り、あるいは身内を見てみれば、ひとりやふたり、稼いでいるひとがいるでしょう。
学歴はそこまででなくとも稼いでいる額がハンパないというひとは、ちょっと注意して見るだけでゴロゴロ出てきます。
メディアに大きく取り上げられることが少ないとしても、実際に稼いでいるというケースは結構あるもの。
いいところを出て安定した立場にいる人間よりも稼いでいることは少なくありません。
学歴を掲げられたからといって自分も同じ学歴という土俵に立つ必要はありません。
勝てるルールで勝負すればよく、ルールがないのなら作ってしまえばいいのです。
学歴もルールや評価基準のひとつにすぎず、ほかにもやりようはいくらでもあります。
地位とお金を両立するのはむずかしい
安定した立場にいる人間というのは、そこまで稼いでいないパターンが多いです。
目立つ立場、権力を持つ人間も同様で、いい思いをしようとすれば手元に残るお金は少なくなります。
いい大学を出て、いいところに就職すれば安定が得られます。
しかしそれはリスクを取っていないということであり、リスクを取るひとよりももらえる額が少ないことが大半。
そして安定した地位を得ると、リスクをとることそのものを忘れてしまいます。
何が言いたいのかというと、お金と地位を両立するのはむずかしいということ。
日本においては、お金もあって地位もあるというひとは本当に少ないです。
お金を稼いでいれば、地位や影響力はあまり手に入らない。
安定した地位、権力のある立場では、大きく稼ぐことはむずかしい。
モテ続ける、影響力を持ち続けるには消費し続けることが必要で、手元にお金が残りにくい。
こんな感じで、お金と地位は両立が困難です。
極端な例ではありますが、こういうのは開業医と大学病院とで比べるとわかりやすいです。
大学病院にいれば地位が得られますが、開業医ほどは稼げません。
逆に、開業医は立場こそないものの、経営やマーケティングができれば稼げます。
両者は医者というくくりでは同じですが、経済的な特性は正反対です。
学歴についても、この法則を適用するとわかりやすいでしょう。
学歴がある人間が有名なところに行ったり公務員になれば、立場は保証され、まわりにも褒められます。
逆に安定を捨ててやりたいこと、稼げることをやろうものなら「学歴があるのにもったいない」と散々に叩かれます。
話題の専業主婦も一般論とは異なる選択をしたがために褒められないのであって、やりたいことやお金稼ぎを優先すれば地位や評判が犠牲になるという原則そのまんまです。
割り切るしかない
結局のところ、こういうのは割りきってやっていくしかありません。
お金をとるか、やりたいことをとるか、地位や知名度をとるかというのについてはそれぞれメリット・デメリットがあります。
地位や知名度といったものは上流階級の象徴とされやすいですが、あくまでもそれは他人視点での評価なわけです。
自分の評価基準とちがうというのも当然のようにあります。
大衆に褒められたいのか、自分自身に褒められたいのか。
これをハッキリとさせることで、自分の行こうとしている方向が明確になります。
ハッキリとさせたうえで全力でとりくめばいいだけの話で、そこに別の評価基準を持ち込んではなりません。
褒められるからといって、それが自分のためになるとは限らないのです。
まとめ
いい学歴を持っておいて専業主婦をすることは、「世間一般からすれば」ありえないわけです。
だからといっていいところを出て専業主婦するのがダメかといえばそうでもなく、話し合いの結果そのような選択肢を選ぶというのも間違ってはいません。
そういうのは正解のない問題なのですが、世の中には「べき論」というものがあり、イデオロギーからマジョリティがマイノリティを叩きます。
マイノリティが叩かれるのは不可避のことなので、「まあそう来るわな」ぐらいに考えてやりたい方向に集中するのが吉です。
ちょっとおもしろいのが、学歴だけ、お金だけの人間が叩かれる一方で、バランスよく持っているひとは評価が180度変わるということ。
学歴だけの人間は石頭野郎と叩かれますし、お金だけ持っていてもカネの亡者として扱われます。
しかし学歴やお金などの要素が一定レベル以上で満たされていると、とたんに評価は逆転。資格まで揃えようものなら神のように扱われます。
誰とはいいませんけど、探せば出てくるでしょう。興味のあるひとはお試しあれ。