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他人のサボりについてどう考えますか? サボりへの考え方で適正がわかる

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みなさんはサボりについてどう考えますか?
サボりについての考え方は個々人の価値観がモロに出るところであり、向き合い方が適正を決めるといっても過言ではありません。
特に他人のサボりについてはある程度の考えを持ったほうがいいです。

 

まず、サボりに対する考え方は2つに分類することができます。

わたし自身は問題さえ起こさなければ、サボりは問題ないという考えです。
他人のサボりについてもそこまで気になるタイプではなく、別にどうでもいいかなと流しちゃいます。
他人がラクしているのをいちいち気にしていても得にはなりませんし、その分の気力を他のことに割いたほうがマシです。

損得や利害関係で考えるひとには、このような考えを持つひとが少なくないでしょう。
考えの根底にあるのは「自分に被害がおよぶかどうか」であって、マイナスにさえならなければいいというものです。

 

もちろん世の中にはこのような考えのひとばかりではありません。
「ラクしているひとを許せない!」というひともいるでしょう。
そういうひともいるというより、むしろ他者のサボりを許せない考え方のひとのほうが多いです。

他人のサボりを許せないというひとは横一線をよしとし、誰かがラクをして利益を得るのを嫌います。
判断の基準は相対評価であり、みんな一緒で当たり前という考え方です。ラクをする人間に対してはひたすら不満に思います。

 

このように、サボりに対しては絶対評価か相対評価かで分けることができます。
ラクをする、サボるといったことに対してどう思うかはそのひとの考え方を如実に表すもので、それによってどんなことに向いているかまでわかるものです。

 

一事が万事。適正までわかる。

まず、「他人のサボりなんて関係ない」と考えるひとの場合。
このようなひとは合理主義や個人主義が考えのベースになっています。
したがって一人で突き進むのには向いていて、一匹狼スタイルが得意です。

判断の基準はあくまでも絶対的にどうかであり、また共同体的な空気が得意ではありません。
目の前の相手がどうかはさほど重要ではなく、自分のルールで結果を評価します。

資本主義のなかで生きるのであれば、こういう考え方は不可欠でしょう。
すべてがお金で判断され、利益重視を前提として動く以上、判断は合理的なものとなります。
人間関係はドライが基本で、ヘンに癒着するということもありません。

自分で収入源を作るにあたっては、ライバルの存在も考える必要があります。
たとえ副業といえども稼ぐことには変わりなく、競合は付き物です。
その競合も目の前にいるということはなく、ライバルは見えないところにいます。
つまりは目の前の人間だけを気にしていてはダメで、見えない敵に対して自律しながら戦っていくことになります。

 

逆に、「他人のサボりが気になって仕方がない」というひとの場合。

このようなひとは社会主義や共産主義に向いています。
いいかえればゴマすりに向いており、すでにあるルールのもとで戦うことが得意です。

判断の基準はまわりと比べてどうかという相対的なものであり、集団内に突出して利益を得るひとがいればすぐに叩きます。
基本的にみんながどう考えるかが重要であり、意見が本質的に正しいかどうかなんて気にしません。
ゴマをすって上のひとに気に入ってもらう、ゴマをすれば仕事をもらえるというのもこっち側の考え方であり、序列ベースの考え方です。

目の前の相手に対して気を取られてしまうことも多く、身近な敵は遠方のライバルよりも優先度が高め。
また行動の基本はゴマすりであり、たとえ本人がゴマすりだと感じていなくても実質的にそうなっているパターンも多々あります。

しかしながら、このような思考パターンは資本主義に向いているとはいえません。
自分だけが利益を総取りするという場合には共同体的な考え方では不利で、トップランナーに媚びを売ることが前提となります。

 

他人のサボりやラクをする行為について、許せるか許せないかは大きな差を生みます。
特に自分で稼ぐ場合にはライバルが身近にいない場合も多く、自己判断が求められる場面も多いです。
そのような場合には目の前の相手に気を取られるのは致命的で、遠く離れた場所にいるライバルを想定して動く必要があります。
つまるところ他人のサボりについてどう思うかは資本主義に向いているかの試金石であり、サボりに寛容になれないと資本主義において不利になってしまいます。

もちろん例外もあります。
ラクして稼いでいる層を見て、怒りをインセンティブにするというのもひとつのやり方です(例:ダイエー)。
ただこの場合においては利益そのものを否定してはおらず、突出した利益そのものがよくないとする社会主義的な考え方とは異なります。

 

サボりは抜け駆け

そもそもの話、自分がサボることで誰かが損害を受けるわけでもないのに、サボるとあたかも罪人のように扱われます。
これはサボりが抜け駆けであることの何よりの証拠であり、サボりは利益とみなされているのです。

ゲマインシャフトの考え方で動くひとは、ゲゼルシャフトの考え方で動くひとの何倍もいます。
そのため合理主義で動く人間はマイノリティになってしまい、社会主義者たちに数の力で押されます。

共同体においては抜け駆けはタブーとされ、タブーを犯した人間は村八分を喰らいます。
サボってラクをしようとした人間がぞんざいに扱われるのは、ムラ社会において本人が利益を得たというのをあらわしており、お金稼ぎが批判される構図と何ら変わりません。

法律自体は守っているにもかかわらず、コミュニティ内の明文化されていないルールによって叩かれてしまう。
ムラ社会ではみんなとちがうこと自体が悪いとされ、控えめな態度を取っての八方美人というのが理想的な振る舞いです。
みんなが苦労しているなかでのサボりはムラ社会では叩かれて当たり前で、個人主義や結果主義が強い場では必ずしもそうなるとは限りません。
ゲゼルシャフトにおいては熱意はマイナスを防げはしますが、アウトプットとの足し算でプラスにできればOKなのです。

 

まとめ

サボりに対する見方により、適正もおのずとわかってしまうもの。
他人のサボりに対して寛容になることは資本主義参加への第一歩であり、許せないというひとは副業にすら向いていません。
副業そのものも利益を得ることであり、共同体的な考え方では賛同しにくい部分も少なくないでしょう。
またライバルが何をしているのかを知るにあたっては、目の前の相手のサボりぐらい許せないとキツいものがあります。
稼ぎたいのであればまずはサボりや利益といったものに対して偏見を持たず、許せるような人間になるべきです。

もしあなたの友達が「サボりは悪だ!」みたいな人間ばかりで、あなた自身は稼ぎたいという気持ちを持っているのであれば、ちょっと考えなおすべきです。
マジョリティの圧力に押されて飲み会に行くというのはマイナスしかありませんし、また稼ぐことに後ろめたさを感じる原因にもなります。
またブラックな環境ではラクをすること自体が悪とされている場合も多く、サボり心による効率化も許されません。
環境による影響は意外と大きいので、まわりの人間には十分気をつけてください。

 

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