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柔道の扱われ方について思うこと 経験者にとっての柔道

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Yahooを見ていたところ、柔道の記事を発見。
タイトルからしていつものごとくネガティヴな記事でした。

個人的に思うのは、まあそんな感じの書き方されるよなぁと。
タイトルの時点で読む前に想像できました。

たしかに柔道には「いかにも」なイメージがあって、ネタとして取り上げやすいスポーツではあります。
叩ける要素が多分にあるので、柔道が取り上げられるときは大抵ネガティヴな書き方をされるもの。
しかしそれを真に受けてはダメで、その裏にあるものを見ないとまちがった解釈をしてしまいます。

 

ニュースにおける柔道は、その大半がネガティヴな論調で扱われます。
そのため柔道に対しては暗いものをイメージするひとが多いでしょう。

大半のひとはマスコミしか情報源がないので、このようなことを連想しやすいです。

しかし。
マスメディアの情報というのは加工されています。この事実を見逃しているひとは案外多く、こと柔道についてはほとんどのひとが報道を鵜呑みにしているのが現状です。

マスコミはあくまでも商売でやっているのであり、ボランティアでやっているのではありません。
そのため報道においては大衆が好みそうな言葉やテーマが扱われ、かなーり加工されたものとなっています。
本来であればこのような点は差し引いて考える必要があって、実態に目を当てればそのような刷り込みはあまり意味がないということに気づけます。

上記のリンクで示したYahooの記事においては、最後に重大事故が減少した旨が書かれていますが、それ以外の部分は大衆が好みそうな要素だらけです。
パッと見の印象で判断していては「柔道は危険!」みたいなことになりかねません。
こういうのは編集されていることに気づくのが第一であり、そこからの議論が重要になります。

 

大衆にとっての柔道

大衆にとっての柔道は古臭くてネガティヴなものでしょう。
しかし経験者から言わせてもらうとそれは俗にいう「テレビの見過ぎ」みたいなもので、操られている印象です。

実際には柔道は、教養という観点からすればチートであり、それ以外の体力やめずらしさといった点でもメリットありまくりです。
みんなサッカーやバスケやっている中での柔道は話題になりやすく、また体力がつくことによるパフォーマンスの底上げは便利という他ありません。
それに加えて人間の心理や立ち回り方を学べますから、部活動として取り組んだ場合には非常にいい勉強になります。
学生のうちに柔道部で活動しておけば、おもしろいぐらいに後がラクになるはずです。

そして柔道の経験者そのものはそこまで多いわけではなく、それによって情報源の数自体が少なくなりがち。
特に大学にもなると柔道という存在そのものがレアで、マジメに取り組んでいるひとなんて探さないと見つかりません。
さらには積極的な姿勢で取り組んでいるとなると本当に数が少なく、受け身の部員も多いです。

そのようなことから、報道されるような柔道がすべてだと考えているひとがほとんどでしょう。
これだけ叩きやすい要素を持ったスポーツなんてそうそうありませんし。
庶民にとっての柔道は極端な存在であり、礼儀作法が強調される場面と問題が強調される場面の二極化しています。

 

以下、経験者が柔道から学んだことをいくつか。

 

ルールと向き合え。モラルをあてにするな。

試合ではルールがすべて。
勝たないと意味がありませんし、相手に指導がいくようなやり方も反則ではありません。
あくまでもまずは勝たなければならず、相手にモラルがないといって結果から逃げるのはナンセンスです。

柔道が語られるうえではやれ礼儀だの何だのといったキレイ事が持ちだされますが、実際はそうではありません。
試合の前後こそ礼儀正しくても、試合中は泥臭いことだらけ。
結果を出すために大会に出ていますし、そうである以上は結果と向き合って当然です。

最近ではルールが変わりまくってタックル禁止・ポイント重視になりましたが、選手にとってはそれに従うしか選択肢がありません。
いくら泥臭くても見栄えが悪くてもまずは結果の世界であり、結果を出した者にのみ発言権があります。
結果が求められる場で国技だの武道だの礼儀だのを持ち出すのはまちがっており、ルールに則って結果を出してなんぼです。

まずは勝たないと意味がなくて、モラルなんてあてにしてはなりません。
大事なので何回も言いますが、まずはルールのもとで結果を出してからです。

 

自分の得意なパターンに持ち込めるか

ルールに違反さえしなければ、試合中は何でもありの世界です。
勝負に勝つためには手段にこだわっているヒマはなく、自分の得意なスタイルで戦う以外に選択肢はありません。

これは言いかえれば、いかにして自分の勝ちパターンに持ち込めるかが重要ということ。
選手ごとに得意不得意はあり、立技が得意な選手がいれば寝技が得意な選手もいます。
また待ちの姿勢で戦うひとがいれば、自分から積極的に攻めていくひともいます。
選手には苦手な状況というものもあり、相手の得意とする流れに乗らず、自分の得意パターンに持ち込むことが重要です。

試合では組手の段階からこういうのがあり、得意な状況に持ち込めないとキツいです。
チャンスがきたらそれをものにし、確実にポイントを取っていくことが勝利のカギ。
そこまでの流れ作りというのも軽視できません。

相手選手の研究をする際には動画を使い、苦手とするところを調べてそれを突いていけるようにします。
どうやったら勝てるか、どうやったら引き分けられるかを研究し、うまくいくパターンを探し、ひたすら練習する。場合によっては筋トレや飯トレをする。
これはごく普通の話で、義務教育レベルの内容です。

 

強いひとはなぜ得をするのか

柔道においては、強い選手ほど有利になる部分もあります。

たしかに強くなれば研究対象となるわけで、その点は避けようがないデメリットです。
しかし強くなって結果を出すと、相手があきらめやすくなるというのもあります。

もうちょっとわかりやすく言いましょうか。
相手が強いひとだとわかっていたり、近寄りがたいひとだったりと、ボコボコにされることから怖気づいてでしょう。
強いひとはそのウワサが広まり、それによって全力で挑んでくるひとが減ります。
単に勝つ確率以外にも、痛みという点からおじけづくひとも出てくるもの。
これもあまり言われませんけど、選手よっては気づいてることです。

なかには相手が強いほど燃えるというひともいるでしょう。
しかし、部活で柔道をやっているひとの大半が受け身の姿勢のひとが多く、このようなことは言葉にならないまでも自然発生的に起こっています。

 

立技がイヤだったら寝技やればいいじゃん

ひとによっては立技が苦手なひともいます。
立っている状態で勝負したら、投げるのが上手いひとには勝てません。
だったら寝技で勝負すればいいだけの話。反則負けしない限りは問題ないのです。

これは「自分の得意分野で勝負する」ということができます。
今でこそ柔道は立技で投げるイメージが強いですが、実は寝技主体の柔道というのも存在し、昔は寝技が猛威をふるっていました。

増田俊也「小田常胤と高専柔道そして七帝柔道」

高専柔道 - Wikipedia

七帝柔道 - Wikipedia

1920年は寝技の技術レベルが高すぎて、「寝技を使って圧勝」なことが起きました。
25人の勝ち抜き制で、六高(岡山大の前身)VS警視庁の試合で警視庁が5人残しで負けるという「事件」が起きたのです。それ以外にも寝技で圧勝というのが続出しました。

当然これが放置されるわけがなく、講道館は寝技を嫌うような態度をとります。
表向きは「実用性がないから」といって引き込んでの寝技を批判しますが、実際には「チートすぎるから禁止!」みたいなことがあったわけです。

この構図は日常生活でも見ることができるでしょう。
ガマン合戦のなかで自分だけ楽なやり方をしようとすると叩かれますよね?
そして圧力に屈せずにやり通せれば、短期的には高い確率で結果を出すことができます。

結果を出したければ、自分の得意な条件や状況で勝負すればよいのです。
それによって批判が飛んでくる可能性はありますが、結果がすべてという状況では選択の余地はありません。

 

なぜこんなことまで書けるのか

上記のように、柔道については知れば知るほどためになるというのがあります。
書いてきたことが他のことにも転用できるのはわかりますよね。
ルールの重視だったり、得意な状況での勝負など、生かせるものはたくさんあります。

内容としてはもはやノウハウでしょう。
このほかにも使える知識はたくさんあり、柔道そのものはかなり教養になります。
ではなぜここまでハッキリと書けるのか。
それはみんな手を付けないからです。

柔道についてのネガティヴなイメージを見る限り、ここまで書いてもやるひとは少ないでしょう。
SEOについて書いても大半のひとが途中で折れたり最初からやらないのと同じで、こちらもまたやりたがらないひとが多いので、書いても問題ありません。
みんなサッカーやバスケに走ることも相まって、柔道は学生のあいだでは絶対的に人気というわけではないです。
そのためその実態に気づくひとは少なく、詳細に書いても誰もやろうとはしません。

役立つものがあるとわかっても、その辛さとマイナーさからやるひとは少ないです。そのうえ主体性という条件を付け加えれば、中立的な観点から話してくれる経験者は本当にまれです。

 

まとめ

マスメディアでネガティヴに扱われるものについては、その裏側を考えることが大切です。
報道をそのまんま受けてしまってはダメで、時として大きな誤解をしてしまうこともあります。
特にニュースで報じられるスポーツを趣味に持つひとに対しては、ニュースで報じられる通りに接すると嫌われることもあるでしょう。
オイシイ話だけではなく、極端にネガティヴな話にもウラがあると思ってください。

部活動としての柔道について、わたしは賛成です。
部活でやることによってムラ社会というものを本当にじかに体験できますし、試合で結果を出そうと思えば合理主義が学べます。
さらに幹部の学年になればマネジメントやバランス調整といったものを学べますので、やって損はしません。
もちろんそのように学んで成長していく過程でエグいものも見るでしょうが、若いうちから向き合うことによって器の大きい人間になれるのではないかと思います。