わたしたちが生活していくなかで、陰口は付き物です。
その対処もさまざまなものがあるでしょう。
ネットでの悪口なんかまだかわいい方。
リアルでネチネチしてくるタイプのひとに対処できないと、精神的に病むということにもつながりかねません。
目次
必要経費として割り切れ
対処の仕方は無数にありますが、
必要経費として割り切る
のが効果的でしょう。
ゼロにはできないものと考えてしまい、はじめからそういうものだと考えるのが手っ取り早いです。
本人のいないところでは、批判のみならず文句や揚げ足取りが必ずといっていいほど行われます。
本人の前では言えないようなことも平然と言われ、それでいて生産性はゼロ。ただの時間のむだ遣いです。
そういうのに正面から向き合う必要はないでしょう。
合理的に考えれば、陰口に悩むよりもやるべきことに取り組んだ方がずっといいのです。
誰かに怒られた時にいちいち落ち込むのは時間のムダであり、淡々と直すべきところだけ直して事にあたるのがよい。
陰口の対処もこれと似ていて、くよくよしているのは時間の浪費でしかありません。
叩かれて悩んでいるヒマがあるのなら、やれることをひとつでも多く片付けるべきです。
陰口はゼロにはできない
人間ひとりひとりに個性がある以上、他のひとと100パーセントわかりあえるということはありません。どんなに努力したとしても叩かれるものです。
自分への陰口を完全になくすなどムリな話で、自分がいないところではほぼ確実に陰口を叩かれます。
褒められてばかりということはまずありません。
考え方のちがいから不満に思うひとが出てくるのは避けようがありません。理不尽なものも多数存在します。
クセはすぐに直せるものではありませんし、生まれによるものはどうにもなりません。
そのため、必要経費として割りきるのがいいです。
お金や評価などの利益を得ることを良いことと考えるひとがいれば、「あいつだけいい思いをしやがって!許さん!」と考えるひともいます。
それらの考え方のちがいは、個人がどうにかできるレベルの話ではありません。
ひとと付き合ううえでそういうのは不可避なものであり、真面目に向き合うほど損をする類のもの。
特に裏で言われることについてはどうしようもないものが多く、どうでもいいようなことばかりです。
陰口サークルに注意!
陰口を叩くことには何の意味もありません。
もしあなたが陰口だらけのサークルに入ってしまったら、距離をとるのは必須です。
巻き込まれたら最後、時間が消えていくわ思考回路がネガティヴになるわで悲惨。
陰口はスルーするのが重要ですが、それと同時に言わないのも重要です。
飲み会の2次会なんかは、まさに陰口のオンパレード。
特に決まったメンバーでばかり飲んでいると、飲み会はただの愚痴スレと化します。
1次会で帰るという選択肢も合理的な面があり、情報収集という観点からすればこういう選択もあながちまちがいではありません。
もしくは飲み会そのものに行かないというのもアリでしょう。時間がほしいのなら、生産性がないような飲み会についてはバッサリと切ってしまうのも手です。
陰口だらけの関係から距離を置くことは、村八分を食らう可能性もあるでしょう。
しかし陰口を言うことしかできない人間は、所詮はその程度。
そんなことをするよりかは1冊でも多くの本を読んでいたほうがマシですし、1記事でも多く書き、1つでも多く動画を上げたほうが有意義です。
気にするだけムダ
脱税を考えるのがムダなように、陰口・悪口をゼロにしようというのもこれまたムダなことです。
それらは必要経費である以上、なくすことに血道をあげるのが大して効果的でないというパターンがほとんどです。
これは節約の話とよく似ています。
生活のなかで支出を減らせば多少のお金は浮きますが、だからといってそれで直接的に億万長者になれるわけではありません。
節約で減らせる額などたかが知れており、収入源を増やすことのほうが容易だったりするものです。
それと同じで、悪口を減らそうとしたり八方美人になろうとすることは、実は割に合わなかったりします。
友人からの悪口を減らしたところで億万長者になれるということもないでしょう。
こう考えてやるべきことにコツコツと取り組むのが、最終的には満足度が高くなりやすいです。
悪口を減らそうというのは、他人の下請けになることに他なりません。
叩かれるのを覚悟で努力しまくるというのはゴリ押し的な考え方ですが、こうしたほうがうまくいくのも事実です。
他人との愚痴合戦をシャットアウトしてひたすら数字と向き合うのが、結果として悪口に耐えられるということにもつながります。
本気で打ち込めるものがあるというのは、その意味でも非常に強いカードなのです。
自分のやりたいことに夢中で打ち込んでいれば、悪口を言うのも言われるのもそこまで気にならないでしょう。
ひとりで突き進む姿勢は抜け駆けの象徴として叩かれるものですが、本人視点でいえば解決策として効果的です。
やりたいことに邁進して昼夜問わず努力し続ければ、陰口サークルの存在が小さく見えてくるはず。そうなると飲み会で悪口いうのがバカバカしく思えてきたりします。
叩いていた人間がいなくなると立場逆転
ここで、陰口についておもしろいことをひとつ。
陰口を叩いていじめる対象がいなくなった場合、今度は叩いていた本人がそのようになってしまいます。
すなわち、「あのひとは○○なクセがあるから嫌いだ!ああいう風にはなりたくない!」と陰口をたたけば、のちに忌み嫌うひとと同じことをし始めるのです。
老害を叩いていたひとが老害化するというのはその典型。
叩くことばかりになってしまうと建設的な発想ができなくなり、「最近の若い者は」みたいなことになってしまいます。
実際に大学生のなかにもオヤジ化しているひとは多く、そのようなひとが面倒くさい存在になるというケースはあとをたちません。
これもちょっと考えればわかることでしょう。
悪い点を指摘できるというのは、そのひとのことがわかっていなければできないことです。つまりは叩く対象が自分にとって理解のおよぶ存在だということ。
そして陰口というのは細かな点を指摘する場合が多いです。
これらをもとにすると、叩く人物は叩かれる人物とよく似ているということが推測できます。
似たような存在だからこそ
よく似た存在であれば、それだけ長所短所をよくわかっているわけです。
短所を指摘するというのは理解度のいることであり、評判だけで叩くというのはかなりむずかしいでしょう。
逆に相手と同じ存在であれば、その短所も容易に気づくことができ、指摘もしやすいもの。
結果として、陰口を叩くひとというのは時間が経つと叩かれる側になってしまうのです。
他人の短所に気づくのはいいことですが、だからといってアラ探しが目的化してしまっては元も子もありません。
アラ探しができるようになろうと努力している時点で、同類になろうと努力しているようなものです。
こういうのは気づきづらいですが、論理的に考えれば容易にわかること。そして実際にそうなっているのですから、各々気をつけるべき点でもあります。
まとめ
陰口を無視して突っ走るというのはよくないことのように思えますが、そうしたほうが精神的に病むこともなく、かつ得られるものも多くなります。
批判のみならず文句まで聞けというのはある種の「抜け駆け」防止であり、飛び抜けて成功するというのを防いでいるのです。
陰口サークルそのものを遠ざけるというのは孤立するということですが、それに耐えて努力するだけのものがあれば成功しやすいということでもあります。
他人からの評価を気にしていては足の引っ張り合いに巻き込まれてしまい、成果が出にくい体質になってしまうでしょう。
目標があるのなら陰口で消耗しているヒマはなく、裏でどうこう言われることで悩んではいけません。
そのかわりに見るべくはデータであり、現状と目標の差を見てただひたすらに努力すべきです。