GWということで、何かしようと考えているひとは多いでしょう。
そのなかでも読書しようというひともいるはず。自己投資としては、読書というのは最適です。
GWという時間を使って本質的なことを勉強するのはいいのですが、ビジネス書を読むという選択肢も悪くはありません。
読書や勉強というのは成長のための手段ではありますが、ヒントを与えてくれるという点でかなり優秀です。
さすがに手段そのものが目的化するのには問題がありますが、手段やツールの改良が何かしらの手がかりを与えてくれることも多いです。
ちょっと意識するだけでアウトプットがかなり改善されるということもめずらしくはありません。
読書の際には実用性を意識するといいでしょう。
自己投資や情報収集の観点からすれば、実用書やビジネス書を読むことには
本質的なこともたしかにだいじなのですが、すぐに使える知識や技術というのもこれまた欠かせません。
目先のことも忘れるな
実用書やビジネス書を読めというと、必ずといっていいほど「そんな薄っぺらい本など読まなくていい」と批判されます。
理論上は分厚い本や古典的な本を読めば、新しい技術が出てきても対応できるように見えるでしょう。
しかしそれは目先のことをだいじにしないということでもあります。
本質的なことだけを勉強すればいいというのは理想論です。
そのような考え方では目先のことが重視されません。
昔から言われていることのみが大切ということになってしまい、すぐに使える技術が過小評価されてしまいます。
実際には目先のこと・将来的なことのどちらとも欠かせません。
あなたが生きてきたなかで、本質的なことばかり勉強していてうまくいった事例はあるでしょうか。皆無ですよね。
学校教育のうえでも、こういうのはあったはずです。
受験勉強の際は、教科書に書いてあることのみならず、受験テクニックも学びます。
部活動においては、単に筋トレや練習をするのみならず、どうやったら勝てるのかといったことも学びます。
これらをみても、実用的なことを学ぶというのは意外と欠かせません。
一般論では「本質を学べばおk」みたいなことを言われますが、実際には小技やノウハウを学ぶということも大切なのです。
つまるところ、目先の利益というのは軽視できません。
本質的なことばかり学ぶというのは自己投資でもなんでもなく、ただの消費。
実際にはすぐに使える小技を100個ぐらい覚えることの方が重要な場面も多いです。
ビジネス書を読みまくるというのは小技を覚えるということに該当します。
小説や古典を学ぶ一方で、実用的なことを勉強するのも欠かせません。
両者を並行してやるのがいちばんでしょう。
いずれにせよ、実用書やビジネス書が無価値だということはないのです。
実用書から本質がわかることもある
実用書を読んで小技を勉強していると、おもしろいことがあります。
それは小技を勉強しているだけなのに、本質的な部分が見えてきてしまうということ。
10冊単位で読んでいると、こういうのはよくあることです。
お金持ち本はケーススタディ的な内容のものが多いです。
複数の本に書かれていることをまとめてみると、ある一定の法則が浮かび上がってきます。
それは大衆の心理だったり、学校教育の実情だったり。
帰納法的に本質的なことが見えてきます。
これもよくよく考えれば当たり前のこと。
小技にはその分野の本質が反映されるからです。
すなわち本質的なことの一部分が小技という形で表されるということ。
だとすれば、データ数を増やしていったときに共通点が出てきて、本質が見えるということにつながるのです。
実用書を読んで、書いてある内容をまとめていけば、共通点が出てくることでしょう。
その共通点こそが本質にあたり、古典的な内容ということでもあります。
実例から学ぶことで、事例つきで本質的なことが学べるのです。
実学は経歴依存を解決できる
読書による自己投資は、経歴による縛りをなくします。
理系学部の人間が物理や数学しかできないというのは先入観の要素が大きく、経歴に縛られているとしかいえません。
理系出身の人間が空いた時間に読書をし、政治経済の知識をつければ、経歴から自由になることにつながります。
経歴にこだわって自分の専門しか勉強しなければ、できることも限られてくるでしょう。しかし読書をして勉強することで、できることが増えるのです。
文系出身だからといって、プログラミングを勉強しなくていいということではありません。
理系出身だからといって、政治経済やマーケティングを勉強しなくていいということではありません。
言い訳をつくって勉強しなければ、経歴から自由になることはできないでしょう。
読書して勉強することで、自由を手にすることができるのです。
福沢諭吉の著書「学問のすゝめ」では、学問がひとを自由にするということが書かれています。
人間の能力を決めるのは生まれではなく、勉強したかどうかです。
語学やプログラミング、マーケティングといったものはお金を得るためのものであり、いい印象を抱かないひともいます。
しかしそれらのようなプラクティカルなものを勉強することにより、経歴による縛りをなくせるのです。
まとめ
実学や実用書というものは、文学的にはよしとされないものが多いです。
文学のノリを求める人間からすれば、内容が薄いことこの上ないでしょう。
しかしそのようなものが稼ぐ力につながるのは紛れもない事実。
それらを否定するというのは、稼ぐことそのものを否定しているといっても過言ではありません。
古典的な内容というのは、実学と並行して学べば問題ありません。
実用書やビジネス書を一切読まなくていいというのは言いすぎです。
現実的に考えれば、並行してバランスよく読んだほうがいいのは自明なこと。
どっちが絶対という論争は不要です。
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