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震災におけるボッタクリについて、あなたはどう思いますか? 震災で稼ぐひとたち①

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震災においてはボッタクリが多発します。

これについて多くのひとは「悪徳商売だ!」などと全否定しますが、別の観点から見れば必ずしも100パーセント悪とはいえません。

 

大きな地震が起きると、外部の地域からはビジネス目的で商売人がやってきます。
このとき値上げがなされるのはめずらしくなく、それが叩かれることは多いです。

 

たしかに被害者の観点からすれば、被災地で値上げされるというのは倫理に反します。

しかしその一方で、物資の供給にはコストがかかるものであり、また現地でのリスクを無視することはできないでしょう。

物を被災地まで運ぶのはタダではありませんし、いつ余震がくるかもわからない場で商売をしなければならない。

これらを考慮せずして「悪徳商法○ね!」というのはいかがなものかと思います。

 

つけ込んでいるイメージはぬぐえない

被災地では物資がアホみたいに不足し、値段が上がります。

これは需要と供給の関係を考えればわかることで、需要過多の状況で値段が上がるというのは当然のこと。

そのような状況ではモノの値段が上がらない方が不思議です。

 

しかし被災地でそういうのを実行すると「足元を見た商売」だとして、ことごとく批判されます。

どうしようもない環境で搾取している印象が強く、イメージとしてはよくありません。

 

「もし高くて買わないというのなら、別をあたってくれ」
これが販売している側の主張。

物資という貴重なものを持っている以上、主導権は完全に販売側にあります。

 

消費者としては主導権が完全に奪われており、不満のレベルは尋常ではありません。

完全にナメられている感じがあり、「チクショオオオ」と思うばかり。
パッと見の構図としては弱い者いじめです。

 

リスクやコストは無視される

消費者や第三者の視点からすれば、被災地でのボッタクリ行為は目に余るものがあるでしょう。

しかし、販売側の立場にたって考えれば価格上昇も否定できたものではありません。

 

モノを運ぶにはコストがかかります。

いくら被災地への支援とはいえ、タダで運んでもらえるというのはありえません。
それには幾分かの料金が発生するものです。

 

また商売する側は、余震の恐怖におびえながら販売します。
いつ災害が起きるかもわからないようなところで商売する。

そのように命をかけた状況でモノを売るというのは、安全地帯で商売するよりもかなり危険です。

自分が死ぬかもしれないという場所で普段通りの値段というのは、売り手の思考回路を疑わざるをえません。

 

これらのことをふまえた場合、売り手に普段通りの値段で販売しろというのは、売る側の命の価値がゼロだと言っているようなものです。

ボッタクリというのは、売り手が危険を冒したりお金を負担したりしたのが値段に現れているわけで。

モノを現場に持っていくとしても、そこに価格上昇が生じるのが自然でしょう。
自分の命をタダで差し出す方が不思議です。

 

命とお金、どっちがだいじ?

もしあなたが実際に被災したとしたら、安いものを求めて遠くまで買いに行くでしょうか?

あるいは安くないからといって買わないでしょうか?

そんなことはありませんよね。
多少高くても買うでしょう。

 

震災のボッタクリ問題というのは、ある意味で「お金と命、どっちが大事か?」という問いでもあります。

高くても買わないという場合、お金は命より大事だということ。

 

これは病気で考えればわかりやすいでしょう。
もし身内が病気で倒れたとして、安さ優先で病院を選んだりするでしょうか?
しませんよね。そんなときにお金なんてかまってられないはずです。

 

モノが高いからといって、遠くまで買いに行くことには危険がないわけではありません。

遠くまで移動して、もし余震が来て帰れないとかなったらどうしますか?
移動途中に不審者に襲われたらどうしますか?

これらが考慮されないというのはいかがなものかと。
命を削ってでもお金が欲しいのでしょうか。

 

自分が被災者でなくても、このことは考えるに値するはずです。

 

なぜ悪いイメージが先行するのか

なぜ、震災でのボッタクリ・値上げはいい見方がされないのか。
これには複数の理由がからんでいて、単一のことが原因だとは言い切れません。

震災におけるボッタクリというのも、これまた正解がない問題です。

個々人の考え方が大きく反映される質問でしょう。

 

わたし個人としては次のように考えました。
ざっくりと3つ。

当然この他にも妥当な理由はあるはずです。

 

原因その1:イジメのように見えるから

足元を見た商売は、まるで消費者をいじめているかのように見えます。

主導権を利用して値上げするというのは、目に余るものがあるでしょう。
弱い者いじめであるのは否定できません。

 

消費者から見た場合、自分たちに主導権がないというのは許せません。
自分の方が不利だという状況では反発してしまいがちです。

 

主導権の差を利用した構図は、商売人以外のひとからすれば不満でしかないでしょう。

たとえそれが自分とは関係ない第三者のことであってもツッコみたくなるもの。
消費者の視点からすれば、商売人がいじめているのは許せないものです。

 

原因その2:滅私奉公で働く「べき」という考え方

被災地でなにかやるというのは、「ボランティアでやるだろう」という前提が生じます。

助けてもらう側はそれを前提として受け取ってしまいがち。滅私奉公ではたらくというのが暗黙の了解とされるのです。

そしてこれはしばしば金銭トラブルの原因にもなります。

 

これは公務員に対する考え方と似たものがあるでしょう。

米国や英国では公務員は名誉職であり、他人のために尽くすという認識があります。
しかし日本はどうかといえば、そのような認識があるというわけでもない。

公務員は稼ぐためのものというのがアジア的な考え方であり、日本もそれに該当します。

 

そうはいっても、後述する「お金はいやしい」という風潮と相まって「タダ働き=正義」みたいなのが横行しやすいのが現実。

弱者の立場からすれば滅私奉公は当然であり、「自分こそは救われるべき」と考えてしまうもの。

そのような自分本位の考え方が表出し、滅私奉公は当然というのが前提になってしまいます。

 

被災地にやってくると言っても、みんながみんなボランティアで来ているわけではありません。

来る方もビジネスですので、当然利益を目的に活動するもの。
彼らもタダ働きしているわけではないのです。

 

原因その3:お金はいやしいという風潮

日本では「お金はいやしいもの」という風潮があります。

日々の生活でお金の話をしようものなら村八分。
「カネ儲けは汚い」というのが日本における常識です。

 

これ自体は作られた風潮であるのですが、教育の過程で脳に刷り込まれます。

子どもたちを教える側がこういうのに染まっているので、当然のように子どもたちもそれを受け継いでしまう。

結果として「お金はいやしい」と思うひとが増えるわけです。

 

そのような風潮が広がれば、結果としてお金儲けそのものがダメだということになってしまいます。

震災特需もそのお金儲けに含まれ、当然のように批判される。
直接の原因ではないにせよ、深層心理にこれがあるのは事実です。

 

まとめ

値段よりも命の方が大事という状況で、はたして値段でグチグチ言っていられるでしょうか。

物資を運んできてくれるひとの命が無価値とでもいうのでしょうか。

ボランティアが前提となるのは無理している部分があります。

しかし「弱い者イジメだ!」という理由だけでボッタクリを全否定するのは思考停止もいいとこです。

イデオロギー的に叩くのは簡単ですが、本質に目を当てて考えれば色々と見えてくるはずです。

 

お金の話を避けて通るのは、それだけ向き合う力がない証拠。

本来お金というのは、自分の人生をコントロールする力をも持っています。
そのようなものと向かい合わずしては議論などできないでしょう。

お金の話をきちんとできない人間が、自分の命や人生について考えられるはずがないのです。

 

わたし自身は東北で東日本大震災を被災した身で、停電や物資不足を経験しています。
その経験を踏まえての結論としては、ボッタクられても買うという考えです。

あんな状況下ではいちいち値段など見ていられない。
いつ余震が襲ってくるかわからない状況ではボッタクリなど気にしていられません。

 

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