「仕事とプライベート、どちらが大事ですか?」
仕事とプライベートをわざわざ分けるメリットはありません。
むだが生じるだけです。
このような二項対立はしばしば話題になります。
わたしの考えとしては、分ける必要がない。
そもそもの話、やりたくてやる以上はプライベートとうまく混ざるはずなんです。
これは投資と消費の境目をなくすのと似ています。
投資と消費が別々になっているというのは、どこかで完全な損失があるということ。
逆にこれらの境界をなくしてしまえば、効率よく投資できます。
たとえば読書について。
情報収集としての読書を楽しめるのは重要です。
もし情報収集として読書をし、それを楽しむことができるのであれば、投資と消費の境目は消えたようなもの。
逆に好きな本ばかり読んでしまい、読んで終わりというのでは消費が存在することになります。
頑ななまでに分ける必要はない
世の中には「○○VS△△」みたいな二項対立がたくさん存在します。
それらには分ける必要がないのに、わざわざ対立してしまっているものも。
分けることでムダが出るのは言うまでもありません。
先ほども書いた、「投資VS消費」という考え方についても、それがムダの発生源になっているのも事実です。
一般的には、投資と消費は区別されます。
ムダなものを買わないという観点からすればこれは重要なのですが、かといってそれを鵜呑みにすべきではありません。
鵜呑みにしてしまうと、それだけ前提条件として消費があることになります。
つまりはどうにもならない要素が存在することになり、その点についてはあきらめてしまう。
最初からあきらめているからこそムダが生じるのです。
仕事とプライベートの例でも、わざわざ2つに分けるとロスが生じます。
「この時間は遊び、この時間は仕事」みたいな考え方では遊びが生じることになってしまいますし、どこかでストレス発散の必要が出る考え方でもある。
そのような自分へのご褒美をベースにした考え方では、ムダを減らしにくいのです。
世間一般で言われている風潮を鵜呑みにすると、かえって損してしまう。
投資と消費、仕事とプライベートというのもその例でしょう。
あらかじめロスがでると決めつけるのではなく、「これにはどのような使い道があるか」というのを考えた方がいいです。
一体化させるが勝ち
結局、不要な二項対立については一体化させるが勝ち。
それらを区別してしまうからロスが生じるのです。
読書をするにしても、単にガハハで終わってしまうのか、書評を書くのか。
これらに差があるのは明らか。お金を出して終わってはいけません。
書評を書いた挙句、それを実生活に生かせればなおよしでしょう。
同じ額のお金を使うにしても雲泥の差です。
人間はイデオロギーで論争したがります。
そのような感情的な部分を抑え、メリットデメリットを把握するにとどめる。
感情や世論に流されて二項対立を意識してしまうと、必然的に消費ベースの考え方になってしまいます。
対立しなくてもいい部分でわざわざ議論するというのはムダでしかありません。