サロンの流行や炎上商法が広がる昨今、こんなことは毎日のように言われています。
「あの記事は薄っぺらくて、質の悪い記事だ」
「昔は個性的なブロガーが存在した」
「最近のブロガーはけしからん」
たしかに過去の文章と比較した場合、今風のブロガーや記事というのはイメージがあまりよくないでしょう。
ヤフーにしろはてブにしろ、取り上げられる記事は薄いかもしれません。
しかしです。
著名な書き手が「今」その時代に評価されたことがあるでしょうか?
ないですよね。
データを積み上げた人間が、あとになって評価されているのです。
いつの時代も粋な書き手は「今」その時代には存在しません。
粋なブロガーなんて庶民の幻想だ
つまるところ、「粋なブロガー」というのは今わたしたちが生きているこの時代には存在しません。庶民の幻想なんです。
いつの時代にも「今」粋な人間というのは存在しないのだ。結局はデータを出したひとが後から評価され、人格者として扱われるにすぎない。
— 村紗カイ (@murasa_kai) 2016年4月2日
新しいものは常に否定されます。
今評価されているブロガーも、昔は「けしからん!」みたいな目で見られいていました。
そのような批判にも耐え、たゆまぬ努力を続けた結果、評価されている現在があるのです。
粋なブロガーというのはいわば「昔はよかった」的なものにすぎず、新しいものに対する否定でしかありません。
現実を受け入れられない庶民が背を向けているにすぎず、時間がたつにつれ評価されるようになっていきます。
結局はデータが評価される
結局はデータがあとになって評価され、「粋な人間」とやらになります。
新しいものについては庶民が理解できず、「今」その時代に評価されることはありません。
結果を出した人間が注目を浴びるようになり、「粋な書き手」だと評価される。
どんな時代においても所詮はこれで、データを出した人間があとになってから評価されるのです。
今は大流行のiPhoneですが、登場当時は「こんなの流行るわけないだろ」と散々な扱いでした。
それが今はもうみんなiPhone。ガラケーを使うひとの方が少数です。
当時ガラケーを使っていたひとの中で、iPhoneが流行ると予想できたひとがどれくらいいたでしょうか。ごく少数ですよね。
もしあなたが「最近のブロガーは」とか思っているのなら、それは危険信号。時代の変化を受け入れられないことの証明になります。
変化についていけないというのはいいことではありませんので、今すぐにでも直すべきでしょう。
書き手の文体や記事、意見を見ないで、データだけを見る。
これは一見すれば間違っているように見えますが、よくよく考えてみればこれもひとつのやり方です。
どうせあとになってデータで評価されるのだから、今のうちにデータで見ておこう。
これはいつの時代も「今」通用するやり方なので、覚えておいて損はありません。
この記事に書いたことは、別にブログに限らずさまざまなことに通用します。
「ブロガー」を他のことばに置き換えればわかるはず。「作家」とかに置き換えればしっくりくるでしょう。
それほどまでにこの事実は重要なのです。
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