リモートワークについて、記事や本を読んでいて思ったこと。
全体を通して思うのは、リモートワークは評価される側にとってはまだまだ使えないなと。自分から仕事を取りにいけるだとか、ニーズを見つけられるのであればいいのですが、評価される場においてはピンチを招く感じがあります。
「オフィスからの解放」だとか「リモートワークは素晴らしい」だとか語られている時点で、リモートワークは異質なもの。
リモートワークが特別視されている段階であり、一般的というわけではありません。
そのためサボっているかのようなイメージがついてしまうのも避けようがないでしょう。
周りがリモートワークしていないなら自分もやらない。
日本はムラ社会ですから、リモートワークが村八分の原因になってもおかしくはありません。
評価される場では不利
ひとから評価される場においてイメージは結構重要です。
日本には「周りと違う=悪」のような風潮があるため、自分ひとりだけリモートワークをすれば悪印象を抱かれる持たれるのも当然のこと。
「やることやってれば何も言わない」だとか言うひとがいても、それを真に受けてはいけません。
イメージが悪くなれば当然のように評価も悪くなります。
こっちがいくら実力主義を主張したところで、相手はイメージ重視で評価をするもの。
どんなにいい成果を挙げようとも判定が覆ることはありません。
もし今の段階でリモートワークをやるとしたら、集団内の過半数がやる状況でしょう。
またはイメージを犠牲にして、その代わりにお金・時間・体力を得たい場合。このどちらかです。
仕事を見つけられれば有利。見つけられないとアウト
つまるところ、自分で仕事を見つけられるのならリモートワークはいい働き方。
逆に主導権を握れなければやらない方がいいでしょう。主導権が自分にあるかどうかで、その効果は180度変わります。
自分から仕事を探せる場合、リモートワークをできるというのは先行者優位につながります。
周囲がまだリモートワークについて理解していない以上、それはチャンス。
連絡の取り方だとか効率化だとかで、ノウハウが蓄積されます。
逆に、自分から仕事を見つけられないという場合にはリモートワークはマイナスになることがほとんど。
現時点ではリモートワークがタブー視されるかのような風潮がありますから、それに手を出すことはイメージの悪化がともないます。
イメージ重視で評価がなされる場合、技術があることよりもお利口さんであることの方が重要です。
グローバル化がすすんで実力主義が普及しているとはいえ、まだまだムラ社会かつ年功序列的な空気は強いです。
まわりと同化できなければ即終了なのが現実。国民性の面からしても、現時点ではリモートワークをすることについてはリスクが大きいです。
補足
実はこの記事、後で見返す用に書いてます。
将来の自分が読んだときに参考になるよう、今の段階での様子をまとめました。
おそらくもう5年はリモートワークは受け入れられないでしょう。
10年ぐらいしてようやく「リモートワークVSオフィス出勤。あなたはどっち派?」みたいな論争になるはずです。
リモートワークがタブー視される現状では、リモートワークしたひとにはかなりのアドバンテージがあります。
お金でも権力でも、タブーについては勉強した者勝ち。
タブーとなるものについてはみんな勉強しませんので、やればやるだけ利益やノウハウが蓄積されます。
イメージを悪くするという点については、コミュニティの基礎とでも言いましょうか。
リモートワークにしろ何にしろ、根本は同じ。まわりと同じであることがリスク回避の原則です。
これを読み返すころの自分は何をしているんでしょうか。
理不尽なことを押し付けられただので苦しんでそうです。笑