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ケーススタディの人生

生活や人間関係における考え方まとめ

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お母さんの請求書という刷り込み 愛は幸福を担保しない

お金の話 教育 生活

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わたしが小学生のとき、道徳の授業で「お母さんの請求書」というのがありました。
一般にはブラッドレーの請求書と呼ばれるもので、家族愛の大切さについて教えるためのものです。

今思えば、そのときの授業は刷り込みとしての意味合いが強かったなぁと。
もともとは家族愛のすばらしさを教えるはずが、実際にはお金へのネガティヴな刷り込みとして使われていたように感じられます。

 

授業で扱われる内容や言葉そのものには、お金をハッキリと否定する要素は含まれていません。
しかし、授業の構成からそれとなくお金がいやしいかのように感じられるのは否定できません。

極端な話、「お金が全てじゃない」という言葉が、まるでお金が卑しいかのような解釈をさせるのと同じ。
「お金が全てじゃない」と聞いて、わたしとしては人々の記憶が消せないだとか、血筋や家系というものがお金で変えられないということを考えます。あくまでもできないことがあるに過ぎず、お金そのものは否定していない。
しかし大半のひとが「お金が全てじゃない」ということばを「お金は卑しい」「お金なんていらない」のように解釈してしまうのも事実です。

「家事0円」「請求書」「愛」「お母さん」というキーワードが並んだ際、あなたは何を考えますか?
家事に対してお金を請求するのが卑しいかのように考えてしまうでしょう。
実際にはお金が卑しいとはひとことも言っていないものの、キーワードの組み合わせからお金が卑しいかのように考えるひとは少なくないはずです。

 

刷り込みは小学校の段階から始まっていた

結局のところ、表面上は家族愛について教えているものの、実質的にはお金へのネガティヴな刷り込みです。
たしかに家族愛の重要性を教えていないわけではありませんが、どちらかといえば刷り込みの方が強い。
家族愛という共同体的な考え方はまったくムダというわけではないんですけどね。ネガティヴな刷り込みの方が目立ちます。

このような刷り込みは小学校の段階からすでにはじまっています。
お金が卑しいとは直接は言わないものの、「それとなく」卑しいかのような教育がなされます。
何も知らない子どもたちは先生の言うことがすべてだと思っていて、かつ先生の強さからどうしてもネガティヴな解釈をしてしまうもの。
そのままオトナになってしまうというのが現行の教育システムの特徴です。

多くのひとは親から帝王学を教わるわけではありませんので、お金が卑しいという認識を持ったまま歳を取ってしまいます。
そのためお金へのネガティヴな姿勢を修正するには

  • 経営者との出会い
  • 読書

ぐらいしか方法がありません。
さらには親がお金へのネガティヴな考え方を持っていて、それが子供に伝染してしまうというのもかなり存在します。

資本主義はお金によって活躍の機会があるとはいえ、「教育」という面ではどうしても家の影響が出てしまいます。
貧乏な家庭に生まれてしまったら、あとは環境やひととの出会いによって考えを直してもらうしかないのです。

 

愛は幸福を担保しない

無給ではたらくということが愛によって正当化されると、ブラックな環境につながってしまいます。
「お母さんの請求書」では家事0円ということが家族愛によって正当化されている側面もあり、そこは疑うべきところです。

やりがいや愛によってタダ働きを正当化するというのは、ブラック企業における搾取そのもの。
「好きだからやっているんだろう」という言葉をこれでもかというほど押し付ければ、そのうちお金を求めることが卑しいかのような空気ができあがります。
あとは経営者が収入についての情報統制をすれば、搾取構造の完成。
そこに「お金を請求するのは卑しいことだ」みたいな風潮でもぶっこんでおけば、タダ働きが当たり前となってしまいます。

そのような環境によって心身を壊すひとが出ているのは、昨今のブラック企業に関するニュースを見ていればわかるでしょう。
やりがいや愛のためだけに働き続けた結果、本人が損をしてしまう。
そうして今日もまた苦しんでいるひとが大勢存在します。

結局、愛は幸福を担保しないんです。
精神的な満足をウリにして働かせるというのは搾取につながります。
そういうのを知らないひとは延々と搾取され続け、イヤな思いをしてばかり。
愛ややりがいといったものは幸福を感じさせることはできますが、それそのものが幸福を保証するわけではありません。

 

人件費節約のカギ

このような愛ややりがいをことさらに強調する行為は、人件費削減のためにかなりの頻度で使われます。
むしろ使われないという場所があったら教えてほしいぐらい。
やりがい搾取は教育の段階からはじまっており、小学校から大学までお金を否定「するかのような」教育がなされるもの。
そうしてお金に対するネガティヴなイメージを持ったまま、毎年卒業生が旅立つのです。

社会人になった若者は「お金を請求するのは卑しい」的なのを刷り込まれており、お金に対して不満には思うものの怒ることはない。
そうして壊れる寸前まで働きながら、文句を言わずにひたすら労力を提供し続ける。
いやー、本当によく出来ていますね。笑

せっかくお金を払って授業を受けているというのに、授業の内容はお金を稼ぐどころか稼げなくなる要素が多分に含まれる。
悲しいですが、これが現実です。
そんな教育では延々とお金を吸い取られるだけで、損してばかり。
残念ながら、そういった仕組みを修正することはできません。

欲を持つことがなぜ否定されるかといえば、力を付けてほしくないから。
為政者としては民衆が力を付けてしまっては困るのです。
もし力を持つ者が増えれば、その分自分の立場が脅かされる。
そのため欲を否定する風潮が消えるのはむずかしく、禁欲が悪用されるのは止めようがないことです。

 

お金は正しい

これを読んでどう思うかはあなた次第。
たしかにお金に対してネガティヴな空気に染まれば、村八分にされるということはないでしょう。
しかし搾取をまぬがれたければ染まってしまってはダメで、「そういうものだ」と気づける必要があります。

お金というのはこの上なく正確なものさしです。
物事をお金で考えるというのは一般に悪いことのように扱われますが、本質的には何の問題もありません。
そういうのができないからこそみんなブラックブラックと騒ぐわけで、根本の部分を解決しないことにはどうにもならないのです。

みんなはお金を否定するけど、なぜ否定するのか。
この問いに対して正面から向き合ったひとのみが、ネガティヴな刷り込みを捨てられます。
与えられたものに対して何も疑わないから損をするわけであって、疑う姿勢があれば解決もそこまでむずかしくはありません。
しかしながら、多くのひとが周りに合わせなければという考えから疑うことができないのです。

 

まとめ

上述した内容は、純粋なお利口さんタイプほど受け付けない内容です。
これを読んでアレルギー反応が出るということは、どこかにお金へのネガティヴな刷り込みが残っている証拠。
それを捨て現状を疑わなければ、搾取からは永遠に逃れられません。

教育というのは権力者によって作られます。
そのため作る側に都合のいいように作るのが当たり前であり、自分が損するように作るはずがありません。
しかしながらそれに気づけるひとは少なく、また足の引っ張り合いによって気づけないようにする仕組みが出来ているもの。
現状に対して疑いの目を持つ人間が現れればドリームキラーが「何を言っているんだ」と足をひっぱり、支配者は「愛とやりがいがすべてだ。お金なんていらないだろう。」と出る杭を叩くわけです。

こうして今日もまたブラック企業に搾取されて、若者が壊れていきます。

 

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