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ケーススタディの人生

生活や人間関係における考え方まとめ

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ゴマすりばかり強調するひと、信用できますか? 人脈はどうやってできるのか

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コネばかりを強調するひとを信用できないというのは多いのではないでしょうか。
あるいは「ゴマをすれ」の連呼でメリットが語られず、言うことを聞きたくないというのだとか。
こういうのはメリットが語られない以外にも、「イヤだなー」と感じさせるものがあります。

まず、結論から。
ゴマすりやコネを強調するというのは「気に入られる理由」を考えていないように思えるからです。

 

コネがだいじ、ゴマをすれ、etc…
これらは実力主義タイプでゴマすり下手な人間にはよくかけられる言葉です。
理系の人間なんかは「ゴマをすっておきなさい」「コネがないと損をする」というのをよくいわれてきたのではないでしょうか。
わたしもそういうのを耳が痛くなるほど言われてきている人間で、聞き飽きた感が強いです。笑

しかし、そうは言われても「言葉に信ぴょう性がないなー」とか考えてしまうのはわたしだけでしょうか?
上のひとに気に入られて損はしませんが、かといってどのようなメリットがあるのかわからないのも事実です。
「何のために」をハッキリさせないと、ゴマをするモチベーションというのも湧いてきません。
そもそも「ゴマをする」というのはどういうことを指すのか、「コネをつくる」とはどのようなことなのかというのが漠然としているわけで、アドバイスのなかに具体的なものがないことの方が多いです。

 

どうやってコネができるか

ゴマをすれ、コネを作れ。
これらの発言に共通していえるのは「人脈がどうやってできるのか」を意識していないということです。

人脈がどうやってできるかといえば、相手に気に入られる、相手のためになることをする、すごいと思わせる。
こういうのがあって人脈ができていくわけです。

そして相手に気に入られるというのは、「頭を下げるだけでいい」という意味ではありません。
あくまでも相手がいいなと思うことが必要で、そこには利害関係があってもおかしくはないのです。
これはある種のマーケティング感覚というやつで、価値提供といいかえることができます。
相手の望みは礼儀がいいことではなく、能力があることだったりする場合もめずらしくありません。

むしろ、頭を下げているだけでうまくいったら相当いい方でしょう。
現実には極端に頭を下げることよりも、何らかの能力が求められる場面の方が圧倒的に多いです。
いい成績、いい能力が気に入られるというのは学校教育においても存在し、部活動を見ればすぐにわかります。
実力のある人間が評価され、礼儀だけの人間は居づらかったでしょう。そういうことです。

 

何の武器もなしに組もうとは思わないでしょ?

つまるところ、何の武器もなしに評価してもらおうというのは虫がよすぎるのです。
頭だけ下げていればおkなんてルールは平等もクソもないようなもので、評価されなかった人間から不満に思われるのは当然です。
それよりは能力がなくてダメだったという方が、評価されなかったとしても納得いくでしょう。
礼儀がすべてというのは能力がないのを棚にあげているに過ぎません。

ゴマをすってコネを作れというのは、アドバイスとしては抽象的です。
言葉のニュアンス的に「お利口さんにしてなさい」的なものが強く、能力の要素はあまり多くありません。
実際にはゴマをするというのが結果を出すことというのも少なくなく、「ゴマをするためには能力が必要」というのも多いです。

能力がないことや努力しないことを正当化する表現は多数ありますが、ゴマをすれという表現もその要素が多いです。
ゴマをすれと言われる場合のほとんどは頭を下げろみたいな意味が強く、ギブアンドテイクの概念もありません。
ことさらにゴマすりやコネを強調してくるひとは実際にはギブアンドテイクができなかったりするので、能力といったものが取り上げられないこともしばしば。
そのため、わたしとしてはコネやゴマすりの強調があると疑ってしまいます。

 

つながりは強調するものではない

結局、ゴマすりやコネで解決しようというのは、どうやっても努力の要素を語れません。
口だけで解決しているように見えるため、ゴマすりやコネは叩かれるのです。

コネをつくるためにも一定レベルの能力は必要で、それなしにはただの寄生虫となってしまいます。
コネが重要、ゴマすりがすべてというのは、貧乏や努力不足の正当化としてミニマリストを取り上げるのと何ら変わりありません。
何のメリットもなしには人脈が築けないため、こちら側にも差し出すものが必要なのです。

つながりが強調される場ほど地力が重要というのもめずらしくありません。
能力をつけるというのはそれだけ手札を増やすということであり、選択肢は多いほうがいいです。
礼儀作法だけしか武器がないのと、礼儀作法のほかにも能力があるのとではちがいすぎるでしょう。
能力があるからこそ価値を提供できるのであり、人脈を作れるのです。

ずば抜けた能力があって、それが需要に結びついているとすれば、評価されてもおかしくはありません。
能力があることが重要となる場面では、需要と供給の関係から多少マナーに欠けていても問題ないのです。
ひとに気に入られるというのもマーケティング感覚が重要で、ルールを見極められる人間が気に入られます。

 

まとめ

ゴマをすりさえすればコネができて、万事解決。
こういうのはまれで、実際には能力がないとダメなパターンの方が多いです。
コネやゴマすりの過剰な肯定のウラにあるのは知識のなさであり、「ゴマをすれ」という側も何をすればいいのか理解していないパターンがほとんどです。

もしあなたが「ゴマすりとコネで何とかなる」と思っているのであれば、少々考えなおすべきでしょう。
気に入ってもらうにも最低限のものは必要で、何の努力もなしに認めてもらおうというのは都合がよすぎます。
何らかの形で価値提供ができなければならず、ゴマすりについての議論は能力の次で問題ありません。

能力があってのゴマすりと、能力がない場合のゴマすりとでは全然意味がちがいます。
能力があるのなら鬼に金棒ということになりますが、能力がないのであればゴマすりぐらいしておけということになります。
ゴマをすってコネを作れるというのはカードのひとつであり、能力が評価されないというのは言い過ぎなのです。

 

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一般に言われる「TOEICが重要」「英語は必須」という言葉にも、マーケティング感覚の欠如というのはあります。
英語が評価基準となるのは忍耐力を見ていることがほとんどです。
こういう場ではゴマすりが威力を発揮するでしょう。
ただ、当然のことながらそれに見合った能力は必要なわけで、結局ゴマをすっているだけではダメという結論に落ち着きます。