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ケーススタディの人生

生活や人間関係における考え方まとめ

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わたしが精神論を全否定できない理由 唯物論は言い訳の道具ではない

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わたしのブログでは結構な頻度で精神論を扱っています。

 

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今日では精神論や根性論はあまり重視されず、効率や創造性が追求されるばかりです。
しかしながら、精神的なものが効果を発揮する場合というのも少なくはありません。

同じことでもポジティヴに考えるかネガティヴに考えるかで結果がずいぶんとちがってきます。パフォーマンスが精神的な影響を受けるのは否定できないのです。

 

論理的に考える場合、心や精神といったものは無視されがちです。
しかし実際にはそれらが大きく作用しています。

技術の面ばかり考えてしまっていては、問題点を見失ってしまうでしょう。
忍耐や精神についても考慮すべきです。

 

理論どおりにいくことはまずない

あらゆる物事は、理論上は理想的でも、現実には理想的ではありません。

「理論のうえではこのぐらいの結果になる。しかし実際にやってみたら誤差が出た。」というほうが普通であり、計算どおりにすすむこと自体がありえません。

 

読書でいえば「1ヶ月に30冊読む」というように計画を立てても、疲れや面倒くささのせいで30冊に達しないという月があるでしょう。

最低でも1日にこれぐらいの量を読める「だろう」というのはあくまでも計算上の数値であって、現実には何らかの影響を受けるものです。

毎日1冊ずつ読むといっても、大義名分がなければ必ずといっていいほどサボり魔がやってきます。

 

このように、一見して簡単そうに見えても、精神的な要因で崩れるのは結構あること。

毎日毎日が理想的というのはむしろめずらしく、何らかの邪魔が入ることは多々あります。

 

対策としては「○○するならせめてこれぐらいはしなければ」などという思いで取り組むことがあげられます。

すなわち取り組むことを肯定・正当化してしまえばよいのです。

読書なら「読書することは自己投資だ。本を読んで行動すればリターンがあるはずだ。」という考え方でのぞめば、読書する気になるでしょう。

精神的なものによって自分を動かすというのはいまだに効果的なのです。

 

古いやり方だが効果的

根性論や精神論でものを考えるというのは、もはや古いやり方です。
しかしながら、今の時代でも通用するやり方でもあります。

 

ポジティヴに考える、大義名分を作る、etc…
これらの方法についてふれた日にはもれなく否定の言葉がかえってきます。

「ポジティブ思考が成功のカギだ」
「大義名分をつくって正当化すれば、成功確率も上がるだろう」

ということを喋れば、必ずといっていいほど

「ひとは元々の育ちがすべてだ」
「素養がない以上はどうやってもムリだ」

と否定されます。

 

たしかに環境や育ちといったものが物事を決めるという考え方もあるでしょう。
しかし観念論というものが効果を発揮した場面は、20年ちょっとという少ない期間でも結構あります。

 

わたし自信はそこまで育ちがよくなく、中学では受験期になるまで成績がよくありませんでした。

しかし受験期になって「合格のためには勉強しかない。やるしかない。」と考えて1日の大半を勉強に費やすようになった結果、学年で半分ぐらいの成績から一気にトップになりました。

今考えてもそこには精神的な要素があったように思えます。
やるしかないと思ったからそうなったのであって、そのような考え方なしにでは到底考えられません。

 

また大学に来て部活(柔道)をやったときにも、精神論が通用するというのを体験しました。

入ったばかりはセンスの欠片もなかった(失礼)同期が、年単位で練習することで強いひとと普通にやれているのです。

弱かった人間が一生懸命練習をすることで、センスの塊のような相手と対等にやれるようになる。精神論での理論武装がそのような結果を生んだのです。

 

これらの事例では、どちらも精神的なものがからんでいます。

できない人間をできる人間にしたのは精神的なものが大きく、育ちや才能が全てというのにはどうしてもムリがあるのです。

この他にも精神によって結果をコントロールできる事例は結構見ており、精神論や根性論を全否定することはわたしにはできません。

 

引き寄せの法則もあながち間違いではない

世の中観念論がすべてではありませんが、一定の効果を発揮するのは事実です。
唯物論で考えるのもだいじですが、観念論が役に立たないというわけではありません。

 

理論武装して取り組むことは意外と効果を発揮します。
引き寄せの法則なんかがまさにそれで、「こうありたい」と思い続けて努力することで実現することも多いです。

「引き寄せの法則なんて嘘っぱちだ。そんなの『絶対に』ない。」と考えていては、思考は凝り固まったものになるでしょう。精神的なものを否定していては、見えるはずのものも見えてきません。

 

目標を立てれば道すじがハッキリとしますし、目標達成のためにリソースを投入しようとします。

精神論というのは自分の判断基準を変化させ、振る舞いをも変えるのです。

自分のなかでルールが変われば、行動が変わってくるのも当然でしょう。
パフォーマンスの改善という点で、観念論には一定の合理性があります。

 

まとめ

わたしが精神論を重視するのは、合理性と実体験によるものです。

唯物論がすべてとしてしまった場合、どうしても実体験と乖離が生じてしまいます。
またアウトプットが改善されるという点で、精神的なものが結果におよぼすのものは小さくありません。

そのため、精神論や根性論に意味がないとはいえないのです。

 

観念論を否定するかどうかは個人の考え方によるでしょう。
そこは個性があっていいのです。

しかし否定するにしても、100パーセント否定するのと50パーセント否定するのとでは全然ちがいます。100パーセント否定してしまって何もできないというのでは本末転倒。

唯物論はシミュレーションに欠かせないものですが、それが言い訳になってしまってはならないのです。

 

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