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ケーススタディの人生

生活や人間関係における考え方まとめ

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なぜ「褒められたい病」を直さなければならないのか 人ではなくデータに褒められろ!

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褒められるというのは、誰であれ気持ちのいいことです。
だれかに褒められるのがエネルギー源となっている人も多いはず。

 

しかしながら、褒められることばかりに固執していては成長のチャンスを失ってしまうでしょう。

特にまわりの人間よりも結果を出そうという場合には、褒められたい病は結構なくせ者です。

 

だれかに褒められたい、認められたいという承認欲求は、成長の芽を摘んでしまうものでもあります。そのような「褒められたい病」は、できるだけ早く直すべきです。

もしあなたが褒められることを良しとしているのであれば、少々考えなおした方がいいです。
というのも、褒められるというのは上に誰かがいることで成り立つものであり、それは下請け思考に他ならない。

どうせ褒められるのなら、データに褒めてもらいたいところ。

 

この考え方は非常にドライですが、搾取から身を守る強力な手段でもあります。

 

下請けになってしまいがち

そもそもの話、褒めるという行為は上に誰かがいることで成り立つもの。
褒められるかどうかを基準にする時点で、大きく得をすることもありません。

まわりからどう言われるかを気にしていたら、目的が「周囲に褒められること」にすり替わってしまいます。

 

褒められるのが動力源というのは、はじめのうちはいいでしょうがいずれ何らかの問題が起きます。

遅かれ早かれ、どこかのタイミングで褒められるという基準からは抜けださなければならないのです。

 

たとえば学校教育。
先生や親の言うことを聞いていれば褒められまくりです。
褒められてばかりというのは気持ちがいいことでしょう。

しかしながら、それは搾取されていることに他ならない。

先生や親は自分の評判が良くなるのを良しとしている以上、それに合わせるというのは下請けをするというのと同じです。

生徒がお利口さんで得をするのは親や先生であり、生徒自身が得をするとは限りません。本人が板挟みで悩むというのもありがちです。

 

そのような抑圧された環境下で育てば、創造性や主体性が潰れるのは目に見えています。

将来活躍するはずの人間が、「教師と生徒」という従属的な下請け構造に合わせることにより、活躍のチャンスが失われてしまう。

「褒められるからやる」というようになってしまえば、それは評価量産マシーンとなんら変わりありません。

 

結果を出すことではなく褒められるのが目的化してしまうと、方向性を見失ってしまうでしょう。
下請けという階層構造で一番得をするのはトップに立つ人間であり、奴隷だけが得をするということはないのです。

 

お利口さんからの脱却

つまるところ、褒められたい病というのは損する思考回路です。

データや結果ではなく人間に褒められることを良しとしてしまい、搾取構造にすすんで身をおくということになります。

 

「よくやった」「ありがとう」と言われる場においては、タダ働きがセットになっていることが結構あります。

前述の学校教育の件については、生徒は褒めるだけで必死に頑張ってくれるので、先生としては嬉しい限り。

そのような言葉ひとつで死ぬ気で動いてくれるのですから、それを使わない手はないでしょう。そうして八方美人やお利口さんはむだな苦労をするのです。

 

利口であれば下手に叩かれるということはありませんが、それでは自分が損をします。

自分が汗水たらした挙句「ありがとう」のひとことで終わるような関係は、不健全というほかありません。

まわりの言うことをハイハイ聞いていたら、最後には損をしてしまうでしょう。話を聞く相手を選ぶ、自分の軸を持つなど、損したくなければ何らかの対策をする必要があります。

 

褒める側にまわれ

何ごともはじめのうちは褒められるのが基準でも問題ないでしょう。
しかしそのままでは替えがきく、歯車のような存在で終わってしまいます。

多少つらくても努力し、褒める側にまわったほうがいいのは事実。

どんな分野であれ、人を使う側や評価する側の人間が有利なのは変わりません。

 

理想的なのは人を褒めてばかりで、自分自身は褒められる必要がないという状態。

このような立場に立てれば、下請け構造で搾取されるということもなくなります。
そのためには褒められることばかりやっていてはダメ。

凡人がいやがるような分野に手をつけ、利益をまるまる持っていくというのが効果的です。

 

褒められるのを基準に動いていれば大きく失敗することはありませんが、飛び抜けた結果が出るということもありません。

オイシイ思いをするのは人を使う側であり、使われる側の人間はそこまで大きな利益は得られない。

凡人に理解できることばかりやっていたところで、それはレッドオーシャンで消耗し続けるのと同じ。評価する側に回らなければ、どんどんリソースを消費していくだけです。

 

資格はその典型

褒められる病の典型例が資格マニア。

資格というものは評価してくれる人やジャッジしてくれる人がいるから成り立つのです。

 

何かしらの結果を出してから資格を取るのならいいでしょうが、ただの資格マニアではお金と時間が消えていくだけです。

誰かから認めてもらうことが支配力を持つようになると、自分のパフォーマンスも評価する人間によって決まってしまいます。

他人が作ったルールのなかでしか活躍出来ないのですから、そのパフォーマンスには限界があります。

 

資格はお墨付きや承認にすぎず、それ自体がビジネスです。

その取得が目的化してしまうともれなく奴隷の仲間入り。お墨付きや承認のために多大な労力を割いてしまいます。

それどころか上から何かを与えられるのに慣れてしまい、創造性がなくなってしまう。当然のようにお金も消えていきます。

 

もし得をしたければ、資格を作る側になってください。

資格を持っていれば自慢にはなるでしょうが、お金や時間が消えていくのは変えようがない事実です。

何回もいいますが、一番オイシイ思いをするのは評価される側ではなくする側の人間。
結局は上に立った者が勝つのです。

 

まとめ

褒められたり評価されたりというのが目的化した場合、それはただの下請けです。

「ありがとう」という言葉を求めて死ぬ気で動いたところで、自分以外の誰かが得をします。

評価される場においては、自分が不利な立場にいるという事実は変えようがありません。使われる側の思考では搾取されるだけで、他の誰かにいいとこを持っていかれます。

 

人を使うというのは人間関係においてはこと重要であり、力を入れるべきポイント。
貸し借りを使うなどして、対等以上の関係にまで自分を持っていくべきでしょう。

使う側になれば板挟みで悩まされるということもありませんし、むだに消耗する必要もない。

そのため、原則的にはどんな手段を使ってでも人を使う側に回ったほうがよいのです。

 

褒められたい病はデータや市場を相手にした時にだけデメリットにならないのであって、人間を相手にした場合は悪いことだらけです。

人に褒められるのが目的ではただの搾取ですが、数字から褒められる場合においては自分がまるまる利益を受け取れます。

どうせ使われるのならデータに使われたいところ。その方が人に使われる場合の何倍もマシです。

 

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